<コンビニ創業戦記・附伝>「鈴木貞夫言行録」第13回

      2017/02/10  

第五章「ソフトブレーン・フィールド時代」(その1)

《「SBF(株)」時代》(1)

--2006年(平成18年)~2015年(平成27年)--72歳~81歳

「ソフトブレーン・フィールド(SBF)社について」

私がローソン特別顧問を退任して、ソフトブレーン・フィールドに関わるようなってから早いもので、もう10年になる。

初めは、生まれたばかりのヒヨコのような会社、ヨチヨチ歩きで、「どうなることか」という局面もあったのだが、木名瀬さんはじめ経営陣と若き従業員たちの懸命な頑張りで、いつの間にか逞しい若鳥に育ってきている。

この6年ほどは見事に連続増収・増益を実現し、今さらに一段と、大きく羽ばたこうとしている。

不安定な経済情勢が長く続く日本経済の中にあって、まことに喜ばしいことである。

先ずは、ソフトブレーン・フィールド(社)について、2015年(平成27年)7月現在の概要を紹介しておきたい。

なおSBF社の詳細は、≪ソフトブレーン・フィールド社ホームページ≫を参照していただければ幸いである。

①・概要と現状

2004年(平成16年)7月に、東証1部上場・ソフトブレーン(株)のグループ会社として創業

資本金・1億5千万円

大株主・ソフトブレーン(株)、アサヒビールホールディングス(株)、木名瀬博 他

本社・東京都港区赤坂3ー5-2

取引先企業・消費財メーカー及び流通チエーン企業など、130カテゴリー210社

訪問延べ店舗数11万5千店舗

業務提携企業・(株)ハーストリー、(株)インテージ、(株)クレディセゾン、

(株)東具

加盟団体・日本フランチャイズチェーン協会賛助会員

②・経営理念

「生活者が商品・サービスと接するシーンの情報を収集・提供し、

より暮らし易い社会の実現に貢献する」

③・事業内容

《 フィールドマーケティング支援事業》

(SBFのビジネスソリューション)(SBFの2つのPDCAサイクル)

《営業支援コンサルティング事業》

(SBFのリサーチシステム)

《購買理由(POB)データ・サービス事業》

(SBFの購買理由データ分析サービス)

《人材紹介・派遣(ラウンダー人材バンク)事業など》

(SBFのラウンダー人材紹介サービス)

④・人材インフラネットワーク・

(キャストネットワークと属性図)

「ソフトブレーン・フィールド社・特別顧問就任のいきさつ」

ソフトブレーン・フィールド社と私を結びつけて頂いたのは、上田栄一さんである。

上田さんは、一橋大学藻利ゼミ・昭和26年卒業(旧制)の大先輩である。

「一橋藻友会」の例会では、何度もお会いしてはいたのだが、若い頃は直接にお話することは殆どなかった。

≪「鈴木貞夫言行録」・第4回参照≫

私がサンチェーンを創業して2年ほど経ち、店舗数がようやく200店舗になった昭和53年ごろ、当時、三井銀行堀留支店長をしておられた上田さんから、突然お電話をいただいた。

「一橋藻友会の上田です。資金がいるのではないか。相談に乗るよ。是非来てください。」とのお話である。

全く思いもかけないことであった。

私はすぐに財務部長を連れて駆けつけ、大金をご融資していただくことになるが、それが、その後の長いお付き合いの始まりとなった。

上田さんには、サンチェーン社員総会で激励のご挨拶を頂いたこともある。

≪「サンチェーン創業物語」・第17回参照≫

上田さんはその後、三井銀行の代表取締役・副頭取まで累進されたと記憶している。

上田さんは、銀行マンとして多くの若き事業家や経営者を見出し、熱心に育成支援の努力をされたと推察する。

私がローソン在籍の晩年、平成17年ごろのこと、上田さんは銀行引退後、当時ソフトブレーン(株)の特別顧問を務めておられたが、新設子会社ソフトブレーン・フィールド社の木名瀬博社長を同道して、大崎のローソン本社に訪ねてこられたことがある。

ソフトブレーンは、中国人留学生出身の宋文洲さんが創業、東証1部上場を果たした企業で、新しい情報化時代の先端を行く事業分野として注目されているようであった。

確かめた事はないが、あるいは、宋さんも、銀行マン時代の上田さんから薫陶を受けた一人なのかもしれない。

上田さんから、「ソフトブレーングループで、新たに流通現場の店頭を強化するフィールド・マーケティング・サポートの新事業会社・ソフトブレーン・フィールド社を立ち上げたので、何かお役に立つことがあれば、利用してほしい」とのことであった。

木名瀬さんからは、新事業の内容について、熱い思いを込めた情熱的な説明を受けた。

私はマーケティング担当部署にお引き合せした。

この時が、ソフトブレーン・フィールド社及び木名瀬さんとの運命的な出会いであり、また上田さんとの50年に及ぶ長い学縁の結実でもあった。

それから1年ほどして、平成18年5月に、私がローソン退任のご挨拶に伺った際、上田さんから、「時間ができたのなら、週2~3回でいいから、特別顧問としてソフトブレーン・フィールド社をサポートしてくれないか」とのお話を頂くことになった。

私は喜んでお引受けすることにした。

これが、私がソフトブレーン・フィールド社・特別顧問に就任した経緯である。私は72歳になっていた。

2006年(平成18年)7月から、週2日を原則に出社しているが、早いものであっという間に10年が過ぎようとしている。

(木名瀬さん・日経MJ・平成17年8月5日号)

 

(上田さん・一橋藻友会にて)

「ソフトブレーン創業者・宋文洲さんについて」

<宋 文洲メールマガジン>

宋文洲さんと、最初にお会いしたのは上田さんのお引き合わせだったと思う。

確か宋さんはまだ40代後半の若さであったが、穏厚な人柄ながら、自分の考えを臆せず、明確に主張するシャープな人物との印象で、「さすがに切れ者だな」と感じたものである。

私は宋さんとは、直接お会いする機会は少ない。年に1~2回ソフトブレーングループのイベントなどでお会いするぐらいだろうか。

むしろ「宋文洲メール」の読者としてのお付き合いの方が長いのだ。

宋さんは、月に2度ほどのペースでメールマガジンを発信しておられる。

現在は280号を超えているから、もう10年以上になるのであろう。

その時々の時事問題に対する宋さんの考え方や、また日常の中で感じられた感想などが、卒直かつ大胆に述べられていて、非常に刺激を受けることが多い。

私が読み始めたのは、10年前にソフトブレーングループに関わるようになってからである。

今では届くたびに、今度はどんな内容かなと、心から楽しみにしている。メールを読んでいると、いつも宋さんが目の前におられるような親しみを感じる。

宋文洲メールマガジンを読んで感じる事は、

宋さんが、「若く柔軟性に富み、広い視野を持つ国際人であること。」

「中国を愛し、日本を愛する人、そして両国の長短をよく知り、有益な助言を行ってくれていること。」

「 本質を見抜く鋭い視点で問題点を突き、同時に適切なヒントを提言していること。」

「常識にとらわれない独創的切り口で、ズバズバと常識の弱点を突き、深く考える契機を与えてくれること。」

「たとえ見解が相違しても、成程と思わせる納得性を、いつも感じさせること。」、などであろうか。

日本人が、宋文洲さんのような素晴らしい中国人を友人として持っていることは、とても幸せなことだと思うのである。

Ⅰ・「特別顧問として目指したこと」

私は、ワードやメールの操作ができる程度で、IT・情報技術について、特別な知識も技能もあるわけではない。

ただ50年にわたり流通業の販売現場に携わった経験がある。その経験が何かの形お役に立てるのではないかと思った。

生まれたばかりのソフトブレーン・フィールドの特別顧問に就任するに当たり、考えた方針は次の三つのモット―であった。

①・会社の重石(おもし)・文鎮になる。

歴史の浅い会社は、ややもすれば従業員の出入りの激しい不安定な職場になりがちだ。

そうではなく一度入った従業員が、じっくりと腰を落ち着けて、地道に仕事に取り組んで大きく育っていく職場創りに役立ちたいと考えた。

②・ハッピーワーキングの社風をつくる。

それには、従業員みんなが、明るく快活で、元気な挨拶が行き交う職場にすることだ。

みんなが、お互いに楽しく、前向きに働いている職場は、必ず高い業績を示す。

米国フロリダのSMチェーン「パブリックス」に学んだ<ハッピー・ワーキング>の社風つくりをサポートすることだと考えた。

≪鈴木貞夫の商人世界「ハッピーワーキング」・2006年・11月号・参照≫

③・チーム・インテリジェンスを高める風土をつくる

企業の持続的成長の源は、人を活かすことに尽きよう。

人の成長なしに企業の成長はない。経営とは、じっくりと人育てることでもある。

人にはそれぞれ持ち味があり、その人にしか無いすぐれた能力があるものである。

お互いが、それぞれを認め合い、活かし合い、育て合い、支え合うことができれば、企業の総合力が高まる事は間違いない。

そういう企業風土創りを支援したいとの思いである。

Ⅱ・「特別顧問として実践していること」

この10年、私が上記のモット―の下に心掛けて実践してきたことは、特別なことではなく、極めて常識的で当り前のことばかりである。

最先端のIT技術に関しては全くの素人でせいぜいメールを扱うことぐらいだから、とても今の若い人には及ばない。営業活動支援といっても、後期高齢者となると顔のつながりも薄くなっている。

「ハッピーワーキングの社風創り」こそ、これまでの長い流通の実践経験を活かして、私に出来ることだと考えた。

それは次の様なことであった。

一つは、 「3つの大切」の精神を、全従業員と共有し、絶えず浸透を図ることである。

「3つの大切」とは、

①・「お客様・クライアントを大切にしよう」

②・「現場・キャストさんを大切にしよう」

③・「お互いを大切にしよう」

の三つの基本的な考え方である。

二つは、 「三つの大切」の具体的実践として次のような行動を継続していることである。

先ずは、「ハイタッチ運動」の実践継続である。

私の週二日の出勤日には会社へ出ると、出勤している従業員一人一人にこちらから近付き、全員と平等に、笑顔のハイタッチで挨拶を交わす事を習慣化した。

これは南品川事務所時代に、NHKテレビの朝番組で、「茅ヶ崎ハイタッチ隊」が、東京駅でハイタッチ運動を展開しているとのニュースを、偶然見たことがきっかけである。すぐにインターネットで調べ、これは活用できると直感した。

私は朝礼で、宣言して実践を開始した。今ではもう誰もが笑顔でハイタッチに応じてくれる。

一日は、朝が大切である。朝の決意と行動で一日の勝負が決まるものである。

私は、誰にでも、こちらから近付いて挨拶し、全員とハイタッチすることを心掛けた。

朝の顔を見れば、その日の調子と気分が分かるものだ。

一人一人に、励ます一言や気分を変える一言を掛けるのである。

継続こそ力なりである。 どんな小さなことでも継続的努力を積み重ねれば、必ず風土の変化につながるものである。

次いで、「朝礼スピーチの励行」である。

週二回の出勤日の朝礼では、必ず「今日のトピックス」と「今日の発句」を紹介し、「ア・イ・ウ・べ運動」などで締める事にしている。

今日の「トピックス」は、その時々の時事問題、経営問題、人生問題などから、特に関心を抱いたテーマを、その都度取り上げて私の感想を述べ、考えてもらい視野を広げる契機としてもらえればと考えてのことである。

「今日の発句」紹介も、私なりの意図がある。

私の俳句は全くの自己流であるが、毎回発表するとなると、やはり日常の暮らしの中でそれなりに、世の動きや、自然の移り変わり、周りの風景の変化などに、関心を深めるようになる。

その積み重ねが、社会の動きや自然や環境変化にも敏感となり、自ずから視野を広げ、視点を深め、そして感性を磨いていくことになると考えている。

若い社員たちの中には、俳句は「老人の暇つぶしの道楽に過ぎない」と思う人もいるのだろうが、それは全く違う事を示したかった。

俳句に限らず、詩歌など文学というものは、人間性を豊かに育むのであり、人生を心豊かにするものであると事を知ってもらいたいのである。

俳句を詠むことは、仕事と無関係に見えるが、いつの間にか仕事の基盤となる観察眼を鍛え、気付く力と言語力を養い、人間性を高めていくことに通じるのである。

そのために朝の貴重な時間を使い、一回に四句を原則にその朝発句したものを発表し続けたのである。

約7年ほど続けているから、2800句にはなるだろう。

苦し紛れのものもあるから駄作も多いと思うが、その中から、独断自選で百句ほどを選び、次回に披露したいと思う。

朝礼での「ワッハハ運動」や「ア・イ・ウ・べ運動」などの継続実践も、自然に身についていけば、目に見えぬ良い効果が期待できると考えている。

そのほか、毎週定例の幹部会議や、月例役員会、四半期方針会、年度方針会などには出席して、気が付いた点を、必ず助言することにしている。

ともあれ、みんなにとって良いと思う事は、すぐに実行するのが私の持ち味である。

いずれも新聞やテレビの報道の中で、これは活用できることだと教えられたことばかりである。

小さな取るに足らないことのように見えることでも、善意の意思をもって、地道に、誠実に積み重ねて持続していくと、周囲の環境を少しずつ変えていくことができるものである。

企業文化とは、そのようにして築かれていくものであると確信する。

続きは以下次号で、「鈴木貞夫言行録」(第14回)を掲載します。

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