<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第10回

      2017/01/24  

<海外視察の思い出>(その1)

日本フランチャイズ協会の「JFAアメリカフランチャイジング・セミナー」のことを書いているうちに、サンチェーンからダイエー・コンビニエンスシステムズ、そしてローソンに至る三十年に及んだコンビ二時代を通じて経験した、私自身のその他の海外視察体験を、鮮やかに思い出すことになった。よく考えてみると、合計で20回もの海外視察を体験したことになる。

それらについても、思い出すままに振り返ってみたい。

「サンチェーン時代(1976~89)の海外視察」は、次の5回である。

――1977年9月ーー(第1回)

『米国コンビ二視察ツアー』

1回目は、1977年(昭和52年)9月に行われた流通産業新聞社主宰の「米国コンビ二視察ツアー」である。確か、サンフランシスコ、ロスアンゼルスの周辺のコンビ二を中心に見学するツアーであった。

私も、サンチェーンを見よう見真似で創業して100店舗達成を目前にした時期であったから、本場アメリカのコンビ二を初めて見ることに非常な期待を持って参加した。

初めての米国視察と云うことで、見るもの、聞くものすべてが、輝いて見えたものだ。

私は流通産業新聞・箕原社長に団長を依頼され、草創期のコンビ二チェーン関係者約20数人の方々と共に参加した。

皆さん初経験の方が多く、ツアーバスの中で相互に、感想や意見を述べ合ったことを懐かしく思い出す。

 

<打越祐さんツアーの結団式>      <参加有志と>

ー1983年11月ーー(第2回)

ーー『米国流通視察ツアー』

2回目は、1983(昭和58年)11月の流通誌主宰「米国流通視察ツアー」である。この時も、ロスアンゼルス、ヒューストン、ラスヴェガス、サンフランシスコ、ホノルルの5都市周辺を中心に、幅広く流通業、SC,各業態、及びCVS11チ―エンの店舗を視察したが、その時の視察報告を見ると、

①・米国の小売業において業態の明確化が進んでいること、

②・それぞれの業態がシステム化により販売効率を追求していること

③・ショピングセンター開発と云う形で、業態の集積化が図られ、買い物の便利性を高めようとしていること

特にCVSでは、

④・ガソリン販売に力点を置いていること

⑤・FF商品が強化されていること

⑥・ゲームコーナーが併設されている店舗が目立つこと

⑦・防犯設備が強化されていること

などを注目したことが記されている。

ーー1984年10月ーー(第3回)

ーー『米国流通・マーケティング視察ツアー』

3回目が、1984(昭和59年)10月に、元ダイエー専務で当時流通コンサルタントをしておられた打越祐氏と三菱総合研究所が主宰した「米国流通・マーケティング視察ツアー」である。中内さんからも、じきじきに、「アメリカの流通を幅広く勉強して来い」とのお声を頂いたことを覚えている。

このツアーは、ニューヨーク、レイクランド、タンパ、オーランド、ダラス、ロスアンゼルス,サンディ」エゴを、10日間で回るもので、次の17名の方が参加された。

参加者・(フードセンターまえだ)二神さん、(丸千)中下さん、

(飛騨製作所)飛騨さん、加瀬さん、田辺さん

(東京商工会議所)平井さん、(メルクス)車田さん、

(近鉄百貨店)森さん、(フジパン)諸原さん、(福留ハム)中島さん、

(徳永産業)田辺さん、(サンデンインターナショナル)牛久保さん、

(六合産業)余久保さん、(三菱総研)鈴木さん、

(サンチェーン)鈴木と打越さん、添乗員の平井さんの17名。

SC,DPT、GMS,DS、SS、などの代表的な各業態43店舗を視察し、コンビ二も11チェーン26店舗を見学した。

この視察の現地講義では、「当時の米国における流通業の発展進化の背景には、

①・従来の「北部から西部」への地域開発の流れが、「西部から南部へ」と変わりつつあること

②・Fmaile Revolution が進行していること

③・Aging  Generatoin  が増大しつつあること

④・Motalization  が急速に進行していること

⑤・High  tech化の進行とPOSの普及の加速によるダイレクト・マーケティング時代が始っていること

⑥・Health  Consciousが高まっていること

などの大きなトレンドがある」、 ことを学ぶことが出来たのである。

これらのトレンドは、今日では概ね社会の現実となっている事を痛感させられる。

その中で、「Convenience  is  still   grouth 」 という言葉で、米国・コンビ二業界の成長が継続している事を強調されていた。

この時の視察で特に印象に残ったのは、サウスフロリダのレイクランドで訪問したPUBLIXのお店「FOOD WORLD」である。

PUBLIXは、当時、フロリダ地区に300店舗を集中展開するSM・ローカルチェーンであった。

創業者でCEOであるトム・ジェンキンスの経営哲学を、忠実に実践する素晴らしい店舗であった。

その『パブリックス・フィロソフィー』の特徴は、

ⅰ・家族主義経営であること

ⅱ・従業員持ち株制を実施していること

ⅲ・業界最高賃金であること

ⅳ・従業員のしつけの良さとサービスの高さで全員が「HAPPY WORKING」を心がけていること

ⅴ・顧客を、子供の時から企業をオープンに、ディズニー・ヴィレッジ化して、PUBLIXファミリーに育てていること

ⅵ・トイレをお店の入り口に設けていること

ⅶ・AM10時には、販売準備作業は完全に終了していること、 などであった。

これらのことを、店内を案内してくれたお店のマネジャーが、顔色を高潮させながら、誇らしげに説明してくれたのである。

このときに贈呈を受けた、トム・ジェンキンスの自伝・『パブリックス・50年史』は、今でも私の大切な蔵書の一つである。

ーー1987年9月ーー(第4回)

『2001・ダイエーグループの船中国・(大連・天津・北京)訪問』

 4回目は、1987年(昭和62年)9月、第三回「2001ダイエーグループの船」で、中国の大連・天津・北京を訪問したことである。

私にとっても初めての中国訪門でもあり、特に感慨深いものであったといえよう。

「2001ダイエーグループの船」は、中国との友好親善を図ると共に、グループ従業員同士の連帯を深め、目前に迫っている「二十一世紀のあるべき商人像」を、みんなで考えようと云うのが主な趣旨であった。

中内CEOを団長に、ダイエーグループ65社・総勢550人が、商船三井のさくら丸(8万5千トン)をチャーターした「2001・ダイエーグループの船」に乗り込み1987年(昭和62年9月16日から、10泊11日の日程で、中国(大連・天津・北京)を訪問したのである。

中内さんの大連市長、天津市長、北京市長の表敬訪問をも兼ねていた。

当時の中国は、まだ実質権力者・鄧小平氏(1904~1997)が健在で、漸く中国の改革開放路線が本格的に推進され始めたころであったと思う。

大連でも、天津でも、北京でも、市内では、あちこちで道路工事や官庁街のビル建設が始められていたが、街並みには未だ人民服が多く、朝夕、自転車通勤の洪水が見られたころである。

当時中内さんは、天津市政府の経済特別顧問に招聘され、公式に就任されていた。

従って、中国現地での我々訪中団一行に対する応対は、随所に、国賓に準ずるように極めて丁寧な感じであった。

例を挙げれば、大連市、天津市、北京市それぞれの市長初め市最高幹部による晩餐会や昼食会での丁重な応対。

また、天津から北京までダイエー訪中団の乗用車16台、バス14台の大車列を、パトーカーがサイレンを鳴らして先導し、ノンストツプ走行してくれたこと。

そして、かの有名な中国政府迎賓館「釣魚台国賓館」にダイエー幹部が準国賓待遇で宿泊できたこと。

等々、中内さんに対する中国側の配慮の深さを、ひしひしと感じたものである。

お陰で私自身も、恐らく個人としては、到底経験し得かったに違いない貴重な体験をすることが出来たのである。

この中国視察ツアーのエピソードを日取り順にあげれば、

1987年9月16日  中内団長の発声による結団式の後、神戸港を出港。

夜、瀬戸内海上で船長主宰ウエルカムパーテイ。

17日  各社トツプが「21世紀商人像」を語るシンポジューム、

「サンチェーンの21世紀ビジョン」として、

「<5000店・1兆円・利益300億円>を達成して、

中国に進出し、中国・1万店に挑戦したい」と、

私が大風呂敷を広げたこと。

《-ー今となって見ると、全く大風呂敷などではないのだがーー》

 

  <船内シンポジューム壇上にて><神戸港出る港風景>      

        18日  船内サロンでグループ幹部の皆さんと懇談する。

戦前の小学校唱歌・

「煙も見えず、雲もなく、風もそよがず 、

波立たず、鏡の如き黄海は」を、

そのままに、波穏やかなサンデッキで

燦々と降りそそぐ陽光を浴びながら、

伸び伸びと昼寝したこと。

19日  大拡張工事中の大連港で、早朝にも関わらず、

中国小学生歓迎団の可憐な熱烈歓迎を受けた。

 

<デッキで昼寝風景>    <大連港での歓迎>

20日  天津市長主催昼食会での本格的な中国料理の味。

天津市体育館における「張麗華コンサートに集まった

6千人中国観衆大歓声に民族パワーを感じた。

21日  天津から北京へは

訪中団の乗用車16台、バス14台の大車列を、

パトカーがサイレンを鳴らして先導。

ノンストツプで北京まで、

約3時間で走行するVIP待遇を受けたこと。

衛兵が警衛する政府迎賓館「釣魚台国賓館」で、

準国賓待遇を受け、感動したこと。

「釣魚台国賓館」の豪華なサロンバーで、

中内さんを囲んで、

グループ幹部とコアントローを痛飲したこと。

高級洋酒などのある絢爛rたるVIP用の部屋に

各自宿泊したこと。

 

<北京紫禁城を背景に>     <万里の長城にて>

22日  故宮・紫禁城、天安門広場、万里の長城を見学。

中国悠久の歴史に思いをは馳せたこと。

など、何れも、忘れえぬ思い出となっている。

その後の今日に至る、中国の急速な経済発展を考えると驚嘆するほかはないが、恐らく現在の三都市の街並みは、全く当時の面影を残しておらず、見違えるほどに変化しているではないかと思われるのである。

今や世界第二位のGDP大国となった中国市場が、幾多の課題を抱えつつも、更に成長し続けてていくことは間違いないことだろう。

インドを含む広大なアジア市場の成長性を疑う者は、今や居ないはずだ。

日本のコンビ二が、このアジア市場の急成長に、エネルギシュに貢献していくことにこそ、大きな可能性が秘められていると、私は確信している。

ーー1988年11月ーー(第5回)

『第12回JFAアメリカフランチャイジングセミナー』

5回目が、1988年(昭和63年)11月に参加した、「第12回JFAアメリカフランチャ一ジング・セミナー」であり、これに付いては、前号までの「日本フランチャイズチェーン協会活動の思い出」のところで、既に記述したので、ここでは割愛する。

次号からは、「DCVS時代(1990~2005)の海外視察」に付いて回想したい。

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