第116話 北京ダックと月餅!

     

中国麺紀行⑧  

 

 昼間、人力車に乗って胡同(HuTong)地区を回ってきた。しかし私は、この地区をどう理解したらよいのかわからなかった。これまでの萬里の長城、紫禁城、庭園とはまったく異なる空間に、頭の中が混乱した。

 しかし考えてみると、わずか4泊5日の小旅行で中国のことが分かろうはずがない。したり顔して語るのは止めて、そっとしておこうと思った。

☆最後の晩餐に北京ダック

 いよいよ今宵は旅の終りの日、マダム節子さんと李先生は北京の最後にふさわしい北京填鴨の晩餐会を企画してくれた。北京に来たら、「不到長城非好漢、不喫到焼鴨真遺憾! (萬里の長城に登って、北京ダックを喰うべし)」という諺があるというが、それはたとえていえば「東京に行ったら、江戸蕎麦を喰うべし!」と同じぐらいの意味なんだろう。

 お待ちかねの、北京ダックの店は「大董訂餐卡 (DaDong)」という、立派な店だった。点心、料理、北京ダック、デザートと、ここで紹介しきれないほどの美味しい御馳走の連続だ。北京ダックは、春巻のように巻いたり、ハンバーグのように挟んで食べる。あんがい脂っぽくなかった。スープも美味しい。付け加えると、西瓜のジュースも濃くて美味だった。そういえば、中国ではどこのホテルもレストランもよく西瓜が出る。いずれも西瓜の味が濃いように思う。

大董訂餐卡の北京填鴨料理】

 【大董訂餐卡の月餅

 北京填鴨、雨燕の巣、鱶鰭・・・・・・と中国料理を代表する料理は、清時代に書かれた有名な『随園食単』でも紹介されてあるから、明、清時代にはもう勢揃いしていたようである。でも、そもそもの中国料理の原型というのは、さらに遡って10-13世紀にかけてできたという。

 宋代に石炭と鉄鍋が普及し、南宋時代には南方の油を媒体とした料理文化が育っていった。そうして明代になって醤油が創製されてから、多数の調味料、香辛料が用いられるようになった。ここに、舞い上がる炎に躍る鉄鍋、鍋の中では油と水と、食材と調味料がまた激しく踊る中国料理の形が誕生した。

 こうした「火食の文化」の向かうところは何かというと、食材のもつ天然の持味のみに頼らず、味は創造すべしとする料理であった。だから中国では、茹でる(蒸す)、揚げるだけではなく、茹でた物をまた炒めたり、蒸した物をさらに揚げたりと、二重の料理法で新しい味を創り出す。調味料もそうだし、香辛料もそうだ。単一の使用ではなく、大蒜の上に辛子や山椒を混ぜたりして不思議な味覚を演出していく。これが中国の料理である。 

 旅から帰って、「満漢全席で駱駝を食べた、驢馬を食べた」と暴露すると、たいていの人から「硬いだろう、脂っぽいだろう、臭いだろう」と言われた。本当は「駱駝や驢馬は、どんな味だったのか」と訊いているのだが、「硬いはずだ、脂っぽいはずだ、臭いはすだ」と言わんばかりに「硬いだろう、脂っぽいだろう、臭いだろう」と訊いてくる。それは日本人として喰ってはならないものを食べたと決めつけ、それ故に日本人が嫌う食感でなければならないのである。私は「面白い反応だ」と思った。

 それからもうひとつ。「駱駝は? 驢馬は? どんな味だったのか?」という関心は、やはり日本人の「鯛の味は? 鮪の味は?」という素材主義に立った視点であると思った。

 ところが中国料理は違う。「民以食為天」のプライドにかけて美味しい料理を創造してきた。油で炒・炸・煎・燴・・・、水で煮・烹・蒸・涮・・・、水と油で燒・・・、火で烤・燻・醬・・・。そして甘・塩・酸・苦・辛味の五味加乗される。

 だから、われわれは「ああ、美味しかった。ところで、今のは何だった?」と、後になって食材を知ったりすることが多い。

 麺もそうである。うどん、蕎麦、それにはあまりこだわらない。ツルツル食べる麺であればいい。

 何せ、この国は、「巴」という人が4000年も昔に初めてを食べたから「」という字が生まれたのだ、と言っている国である。国語の教科書に載っているように巧い話だが、壮大な嘘だろう。

 天子が即位すると、盗掘団は直ちに、その日から、その天子が将来葬られるであろう想定の墓所に向かって、秘密の地下道を堀り始めるという。映画のように痛快な話だが、壮大な嘘だろう。でも、この国はそんな国だ。食べ物も美味しければいいのだ。

 さてと、至福に襲われた私たちは、「大董」の外に出た。

 ところで、今宵は仲秋節だ。と思って、超高層ビル群を見上げたが、名月の姿はどこにもなかった。

☆仲秋節の月餅

 ホテルの部屋に戻ると、枕元に月餅が置いてあった。テレビをつけると仲秋節の番組をやっている。二胡に似た楽器が美しい旋律を哀しく奏でていた。

 この国は、昔から仲秋節には家族団欒で月餅を食べるのが風習となっているらしい。それはわれわれの年越蕎麦や、クリスマスケーキ以上の民俗風習になっている。だから、ホテルもお客にプレゼントするのだ。

 もちろん日本にも仲秋の満月を観賞する習慣は中国から伝わってきた。ただし、月餅ではなくて何故か団子になっているが、マとにかくわが国も朝鮮、台湾と共に≪十五夜 文化≫加盟国であることにはまちがいない。

 ところが日本にはもう一つ「十三夜」という風習がある。「十五夜」は中国から伝わったものであるが、この「十三夜」は日本独自であるという。始めたのは、約千年昔の宇田上皇である。

 当時、宮廷は激しい政治闘争が繰り広げられていた。文化面から見ると、「中国から伝来した漢字や唐文化を守ろう」というインテリ外来派+守旧派と、「いや、わが国で誕生した仮名文字を中心とした、国風文化を育てよう」という国内派+改革派の争いだった。外来文化守旧派の指導者は菅原道真、国風文化育成派の親分は藤原時平。勢力は次第に時平組が有利となり、道真は太宰府に飛ばされた。以来、仮名文字によって綴られた『古今和歌集』が編纂されたりして日本固有の文化が花開いていったのであるが、両派に気遣った宇田上皇は、中国的十五夜も、和風十三夜も、両方始められたというわけである。

 そういえば、道真の時代よりずっと昔、唐に渡って玄宗皇帝のもとに仕え、とうとう当地に骨を埋めた安倍仲麿(698-770)はこんな歌を遺している。

   天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも   ― 安倍仲麿 ―

 明日は、SMAPが北京公演にやって来るという。数日前は、なでしこジャパンが中国に勝った。

 日中は付き合いが長い。だから、巫女、仲秋節、漢字、爼板、箸、麺、汁、椀文化を共にしている。

 私の若い友人に北京ファンがいる。「何故北京?」と尋ねると、「中国から日本を見てみると、これから日本はどうして行ったらよいのか、うっすら見えてくるような気がする」と言う。

 しかし・・・・・・、たかだか4泊5日の遊子に見えてくるはずがない。

 一部わかったのは、中国(承徳)の蕎麦が十五夜なら、日本の蕎麦は独自の十三夜ではないかということだった。

 先日、承徳で食べた蕎麦汁も美味しかったが、その日に木村さんが日本から持ってきていた日本の蕎麦つゆも涙が出るほど美味しかった。

 そんなことを思いながら、北京のホテルの窓から東京の方角を眺めた!

― おわり ―

衷心感謝! マダム節子さん、李先生、寺西さん、木村さん、土屋さん、日本橋そばの会の皆さん、中国語勉強会の皆さん。

参考:袁枚『随園食単』(岩波文庫)、井上靖『シルクロード詩集』(日本放送出版協会)、辻原登『翔べ麒麟』(文春文庫)、

〔エツセイスト、江戸ソバリエ認定委員 ☆ ほしひかる