第167話 江戸ソバリエは関東の蕎麦を応援しています

     

お国そば物語⑨深大寺蕎麦+千葉在来

 深大寺一味会(会長:張堂完俊住職)は毎年12月24日に「深大寺蕎麦を味わう集い」を開催している。そのときの蕎麦は、一つは深大寺蕎麦、もう一つは毎年ちがって、その年の秋の研修旅行先の蕎麦粉にしたいということになっている。今年はその対象として「千葉在来」が選ばれた。きっかけは千葉にお住まいの脇坂英樹さん(江戸ソバリエ倶楽部会長)がお話になったことを深大寺一味会の浅田副会長が覚えておられたことによる。

 「千葉在来」を育てているのは民間有志の千葉在来普及協議会である。私は、副会長の小林照男さん江戸ソバリエ・ルシックであることから、彼の紹介で会長の大浦さん事務局長の栢沼さん理事の加藤さん松本さん顧問格の長谷川先生(千葉県農業大学校)と顔見知りであった。一方では「深大寺そばの学校」の講師をつとめさせていただいたこともあって、特別に今年の研修会に参加させてもらった。

 総武線誉田駅まで行くと、小林さんが迎えに来てくださった。伺ったのは千葉市野呂の旧土屋徳多郎邸。ここの土屋氏が栽培しておられた蕎麦を長谷川先生が見つけたのが、「千葉在来」の始まりだった。小林さんは、この旧家を「千葉在来記念館」のようなシステムに持っていきたいというようなことを時に話されるが、私は大賛成である。

【土屋家と千葉在来仏?】

 一帯の台地を入植者たちが開墾したのは明治初期。千葉とはいえど潮風のせいか涼しい風土だった。土屋徳多郎さんのご先祖も、日光街道二十一次の中の宿場町越谷(埼玉県)から、野呂地区(千葉市若葉区)に入植した一人だった。そのときに蕎麦の種子も持って来られた。その子孫である徳多郎さんは先祖の蕎麦を60年以上栽培を続けられてきた。

 そんなところから、元の品種を辿れば、北関東の「葛生在来」、「鹿沼在来」、「益子在来」といった中間秋型の蕎麦在来品種なのかもしれない。それが越谷、そして千葉へと伝わったのだろう、と長谷川先生は画像を用いて説明される。

 

 千葉在来普及協議会が菅理している蕎麦畠は約8町歩、うち加藤さんがお一人で6町歩を手がけておられるという。こういう有志の団体では加藤さんのように「オレ一人でもやってやる」という覚悟の人がいらっしゃるのは心強い。

 

【畠と蜜蜂箱】

 加藤さんたちは、深大寺一味会が見える数日前に刈り取り、そして昨日挽いて蕎麦粉にしたという。それを今朝、小生の親友・松本行雄さんが打たれた。

 その蕎麦が、浅漬け、天ぷらと共に供された。千葉在来は香り、コシの具合・・・、今までの蕎麦のなかでも、すくなくとも5指には入れるほど美味しかった。

 毎日のように蕎麦を食べているけれど、考えてみれば、採れ立て、挽き立て、打ち立て、茹で立ての蕎麦を口にする好機はあんがい稀である。 だから、江戸ソバリエは関東の蕎麦を応援したいと思っている。

 昔から、江戸蕎麦はつゆが旨いといわれている。それに四立てという役者がそろえば、鬼に金棒ではないか!

参考:千葉在来(第167、122、66話)、深大寺蕎麦(第167、155、154、132、128、124、48、36、9、7話)、

 〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる