【9月号】 江戸東京野菜、復活する砂村三寸ニンジンの話

     

伝統野菜の復活には、現在市販されているものとの差別化が出来ることが、次世代に繋げるための条件だ。

たとえば、今東京では絶滅してしまった滝野川ニンジンを、神奈川県川崎市(万福寺地区)の農家が改良したと伝えられる万福寺大長ニンジンの写真を見せると、今ではほとんど見ることのない長いニンジンなので、たいがいの人は驚きの声を上げる。

 それだけに、滝野川ニンジンが東京から消えたのは残念である。

 (大長ニンジン)

今年、(公財)東京都農林水産振興財団が計画した伝統野菜の復活は「砂村三寸ニンジン」だ。

江戸時代のニンジンは、滝野川ニンジンに代表される1㍍もする大長ニンジンであったが、収穫作業の労力軽減から、明治政府(内藤新宿農事試験場)は短根ニンジンのタネを輸入、砂村の地で選抜淘汰が繰り返され固定して砂村三寸ニンジンが生まれた。

長ニンジンから三寸ニンジンに切り替えたことで、農家の労働力軽減にはなったものの、栽培面積は変わらないのに、収穫量は6-7割の減少となり収入は減少したことから、長ニンジンの栽培は引き続き1960年代始め頃まで続いた。 

砂村生まれのニンジンだけに、ゆかりの地、砂村(現砂町)で栽培するのが望ましいと、江東区立砂町小学校(山崎修司校長)にお願いして先月26日に五年生によって栽培復活となったもの。

タネは農業生物資源研究所・ジーンバンクに保存されていたことから取り寄せたが、いただけたのは規定により僅か1グラム。

  (砂村三寸ニンジンの袋)

五年生(66人)が全員で蒔くには少ないことから、市販されている昔の大長ニンジン(万福寺)と現在広く食べられている五寸ニンジン(ひとみ)、も一緒に蒔いて、暮れから正月の間に、砂村三寸以外のニンジンを学校給食で食べ、ニンジンの変遷などを学ぶ。

砂村三寸ニンジンだけはさらに栽培を続けて、花を咲かせてタネを採り、たくさん採れたタネを六年生になった生徒から五年生に引き継ぎ、それを蒔いて、開校120周年に花を添え、給食で皆で食べるという計画だ。

因みに、砂町小学校は明治24年に砂村尋常小学校として開校した伝統校。

このニンジン、開校当時に砂村で生まれたものだが、現在はどこでも栽培されておらず「幻のニンジン」となっていた。

 (関口さんと子どもの播種)

また、栽培指導に当たるのは、JA東京スマイルの理事・関口隆雄さん、同氏のお宅はかつて砂村の地で農業を営んでいたが、砂村の都市化で荒川を渡り、江戸川の西葛西に農地を求め移り住んだお家柄。

今回は、関口家のルーツ、砂村の学校のお手伝いが出来ればと指導役を務めてくれたもの。

ニンジンの栽培は芽出しが一番難しく、大型ポットでの栽培とはいえ、このところの猛暑と干ばつに、関口さんは自分でも栽培してみようと、数粒のタネを持ち帰った。

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