外食烈伝(その根底に流れるもの) {一歩}

      2016/08/05   執筆者:編集部

外食業界に携わり早や40年。この業界の仕事で、小生の人生の基盤を築かせて貰ったことに感謝している。その間、いろいろな方との出会いがあり、それぞれの方の社会観、人生観を学ばせて戴いたことにも感謝、合掌。また取材先の外食ユーザーの方たちの商売に対する意識、仕事に対する命がけの情熱など、学ばせてもらった人間関係の重要さにも感謝している。さらに各メーカー、問屋、協会関係他、業界関係者の方たちにも感謝しなければならない。こうした背景から、私自身の今日までの仕事に対する意識、革命、方向性について、約4000軒の取材も含め、備忘録とでも言うべき雑感を記していきたい。悪筆についてはご容赦願いたい。(2016年・坂本憲司)

 

「日本外食産業」 今昔物語(4000分の1の軌跡)

昭和45年~55年(黎明期)

昭和55年~平成2年(開拓期)

平成2年~12年(展開期)

平成12年~22年(躍動期)

平成22年~32年(爛熟期)

平成32年~42年(未来期)

平成42年~52年(宇宙期)

 

 

〈黎明期〉昭和40年代(FF・FRの台頭)

日本の外食は、昭和45年の大阪万博の開催から始まった。この時点が「日本外食の曙」である。同時に新聞・雑誌の中に「外食産業」という活字が溢れ、テレビなどでも盛んにアピールされた。日本の実情と言えば、それまでは全国の観光地のドライブインや都市部デパートのお好み食堂、各地にある川魚料理や天ぷらの店、そば店などで食事をしていたのが事実であった。そこにアメリカナイズされたフランチャイズシステムのファミリーレストラン、ファストフードの台頭でハンバーガーやドーナツ、アイスクリーム、フライドチキンなどが押し寄せ、一挙に日本の食文化が総なめにされ、瞬く間に日本の外食業界のトップに躍り出てしまった。翻って言えば、その当時"外食産業に携わる国会議員がいなかった"ことが歴史の事実で悔やまれるところである。なぜならば、他の産業界には日本的な風土の中、良し悪しは別として後ろ盾には必ず国会議員がおり、その業界の浮沈のカギを握っていたことや、発展にも寄与していたことが挙げられる。例えばオレンジ議員や食肉の議員など、また他の業界にも少なからずアメリカからの自由化には段階的な解消法を打ち出し、徐々に許認可していった経緯があるのも見逃せない。それに引き換え、外食産業界は初めから100%自由化の波が打ち寄せ、瞬くうちに日本市場を席捲してしまった経緯となっている。

しかしそうした背景があったにも拘わらず日本人の頭の良さで、日本市場に根差した外食を展開する企業が出現、アメリカ外食と対等に戦ってきた事実もある。当時、後に日本の外食業界をリードするファミリーレストラン御三家(すかいらーく、ロイヤル、デニーズ)や、ファストフード御三家(マクドナルド、ロッテリア、モスバーガー)が日本的なオリジナルメニューを開発、日本の土壌に根付かせていった。この発展の根幹には、日本人の奥底にある「中流の上」の意識が、庶民感情を大きく揺さぶり、「洋風文化・洋食文化」の音の響きが当時の奥様方の心をくすぐったことも見逃せない。また週休二日制の導入による時代背景も手伝い、週末の土曜・日曜には隣近所の家族が競い合ってファミリーレストランに殺到していった。また子供たちは、おやつにハンバーガーを買い求め、マクドナルドの日本一号店が銀座・三越にオープン時、幸運にも歩行者天国のスタートとも重なり、あっという間に日本中の子供たちを虜にしファストフードが発展していった。ここに「日本の外食産業の原点」があると言っても過言ではない。

その当時、日本とアメリカの外食産業には大きな違いがあったことも見逃せない。それは日本の総人口が1億3000万人、飲食施設(外食産業)トータルの数字が約180万軒、これに引き換えアメリカは、総人口2億4000万人、外食レストラン数が、約80万軒と日本の半分にも満たない状況となっている。この数字から言えることは、日本はパパママ食堂であり、あまりにも中小零細企業が多いということ。総売り上げも約10兆円規模。アメリカはビッグチェーンが多くあり、食事傾向に違いがあるとはいえ、外食売り上げは約43兆円であった。日本の外食産業トップである「マクドナルド」もアメリカのランキングでは100位となっていた。