第370話「千葉ソバリエ会」の作務衣

      2016/08/25  

  葬送の曲  “When The Curtain Comes Down”

“When The Curtain Comes Down”という曲があるが、これを聞いていると何かやりきれなくなってくる。こんな悲しい歌を作ったのはいったい誰だ? と思っていたら、Diana Krallというジャズピアニスト&ボーカリストということが分かった。

以来、時々彼女の低音の歌声を聴くようになった。

ある年のことだった。ニューヨークのジャズクラブ「ブルー・ノート」を訪れたとき、プログラムを捲っていたら、ちょうど先週が彼女の舞台だったようなことが紹介されていた。「ア~、残念。ついてないナ!」と悔しい思いをしたものだった。

ところが不思議なことに、彼女との縁のなさがまたまた生じた。NYから一年後、地下鉄銀座駅を歩いていると、構内に巨大な看板が飾られてある。「ジャズの女王ダイアナ・クラール、11年ぶりの来日!公演:○月○日・○日、会場:○○」とあるではないか。

「お~♪」NYの借りを返してもらおうとばかりに手帳を見ると、何と彼女の公演日は、先週決めたばかりの「更科堀井の会」と重なっている。

一度決めた開催日を変更することは許されないが、ついつい堀井さんに予定を前後にずらせないものかという不届きな希望をもって電話してみると、「前後に予定があるから、この日を決めたんだよ」とのこと。

「そりゃ、そうだろうな」とガックリ。今度こそ、ナマが聴けるかと思ったのに、「ア~、残念!」

とまあ、極めて個人的な体験ではあるが、本来のやりきれないメロディと相俟って、この“When The Curtain Comes Down”は、私にとってまるで葬送のような曲になってしまった・・・・・・。

蝋燭の炎

 ☆きみは、どう生きてきたか?

先日、千葉ソバリエ会所属で、かつ江戸ソバリエ倶楽部の二代目会長であった脇坂英樹様がご逝去された。永眠されたそのお顔を拝したとき、私の耳にはあの“When The Curtain Comes Down”が聞こえてきた。【The Curtain Comes Down】― まさに一人の人間の【幕】が見え、厳粛な気持に見舞われるのである。

脇坂さんは、誠意の人であり、人柄の良さにおいては抜群の人だった。そういう脇坂さんに、最後のお別れをしようと、TさんやHさんなど千葉県内の蕎麦打ち仲間が見えていた。

共に棺の中を拝見すると「千葉ソバリエ会」の蕎麦打ち用の作務衣が被せてある。それを見て、私は感動した。隣にいた小林照男さんも目頭を熱くされているようであった。

そのお気持はよく分かる。両親のそれとはちがって、親友・盟友との別れは何か特別の喪失感が生じるものである。

小林さんが、あとで奥様からうかがったところによると、「おとうさんは『けっして上手くはないけれど、蕎麦を打つときは、洗濯した蕎麦打ち用の作務衣と白いズボンと帽子をキチッ被って、やるんだ』と言っていたんですよ。だから、棺の中に入れて上げなければと思ったの」とおっしゃったという。

それを聞いて、千葉在来祭りのときは必ず駅まで車で迎えに来られたころの元気なお姿を思い出しながら、私と小林さんはなお感銘を受けた。

最後にお会いしたのは、一昨年に筑波大で開かれたソバ研究会の会場であった。相変わらず、にこやかなお顔でご挨拶をされた。

しかし、今日「千葉ソバリエ会」の作務衣を見て、私は脇坂さんが遺された強烈なメッセージに気付いた。

「きみだったら、棺の中に何を入れてもらいますか?」

「きみは、入れてもらうべきものを持っていますか?」

「きみは、どう生きてきたのですか?」

「虎は死して皮を留め」ではないけれど、いかに【幕】にするか? 「それだよ」 という脇坂さんの声が聞こえてくる。

ああ、いい教えを頂いた。「脇坂さん、ありがとう。」

脇坂英樹さんは ― 、ご家族、ご親類、友人たち、そして千葉ソバリエ会や江戸ソバリエ協会などから贈られたたくさんの生花に見守られて、久遠の眠りに就かれた。

〔文・絵 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる