外食烈伝「その根底に流れるもの」(三歩)

      2016/08/22   執筆者:編集部

〈開拓期〉昭和60年代~平成年代(~2年)

この時代は、洋風文化や洋食文化が台頭してはいるものの、底辺には根強い和食文化があり、それらを取り巻く周辺ではイタリアンや中華、エスニックなどの無国籍・多国籍の料理レストランの時代背景になってきたのも事実と言える。展開企業では、イタリアンの「サイゼリヤ」、「イタリアントマト」、「カプリチョーザ」他で、新たなファミリーレストランとして日本人の食味感覚にも通じる「小麦粉文化」が一世を風靡していった。従来のファミリーレストランでも「ロイヤルホスト」わ先頭に「イタリアフェア」などのイベントを打ち、人気が上昇していった背景がある。同時期、中国料理も昔からのイメージでは、ギラギラぎたぎたした油と辛さの料理を連想しがちだったが、「食は広州にあり」の言葉通り、中国料理のルーツ(淵源)は、シンプルなスープが根底にあったのも見逃せない。また「人類は麺類」といった時代背景から、麺類を中心とした店が流行、消費者関連でも新たな味わいのあるカップ麺や袋めんが進出、スーパーやコンビニでも競争が激化していった。翻って和食分野も、原材料としては「海のもの・山のもの・畑のもの」、といった素材の味を大事にしているのが「和食文化」のルーツになっている。特に関西料理などは「薄味」で素材を強調しており、京料理・関西料理の発展にもつながっている。さらにイタリア料理も、周りの海から新鮮な魚や、蛸・イカなど、豊富な原材料に恵まれ、ヴェネツィアなどでは素材の味にプラスして、ドレッシング・オリーブオイルなどでシンプル且つ豪快にに食べるのが習慣になっている。

この事実は、古来からのシルクロードの繋がりからか、「日本~中国~イタリア」の不思議なめぐりあわせを感じざるを得ない。古代文明の交流と共に食文化の交流にも一役買っている、と言っても過言ではない。言われてみれば、日本ではたこ焼き・お好み焼き・うどん・そばなどを食べ、中国は、餃子・シュウマイ・ラーメンなどを食し、イタリアはスパゲッティ・マカロニ・ピザを食べている。以上の結果から、「小麦粉文化」イコール「粉食文化」の結論が導き出せる。これは余談だが国会や企業が行う「粉飾決算」とは大きな違いがあるのは言うまでもない。