<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第31回

      2017/01/24  

『常勤監査役として』(1999~2004)(その1)

「相談役から監査役へ」

私は、ローソンゲストハウス館長を兼務しながら、相談役を1994年(平成6)から1999年(平成11)まで、満5年間勤めた後、その年の5月、常勤監査役に選任される。

65歳になっていたが、心身共に健康であった。

創業以来、非上場の段階では、どちらかというと監査役は、形式的なお飾りポストの印象が強かった。

日常の経営判断では、あまり監査役の存在を、それほど意識することはなかったのではあるまいか。

私自身それまでは、監査役の役割の重要性を、余り深く認識していなかったのは事実である。

だが、バブル景気とその崩壊の狂乱の過程で、大型倒産が相次ぎ、企業不祥事が多発して、企業統治(コーポレィト・ガバナンス)の問題が厳しく問われる時代が到来していた。

それに伴い、監査役の「地位の向上」と「機能・権限の強化」を図る会社法の改正が度々実施されていくのである。

当時ローソンは、株式上場準備に大童で取組んでいた。

そのころの株式市場は、バブルの余波が残り、未だ高株価の余熱が残っていた頃である。

ローソンにおいても、上場企業に相応しい監査役体制の構築が、求められていたと思う。

その要請によく応えたのは、先任していた常勤監査役の塘敬夫さんであった。

塘さんは、ダイエー役員出身で、監査役業務に精通した、温厚なゼントルマンであったが、私の1年前に選任されていた。

中内さんの信頼も厚く、ローソンの上場に備えての人選とも言えた。

塘さんは着任以来、創業以来の監査記録などの点検整理を進めるとともに、規定類や必要書類の整備を、着実に進めていたのである。

私が選任されたのは、丁度そういう時であった。

ローソンが東証一部に上場したのは、2000年(平成12)7月のことであるから、私が選任された当時は、上場準備の総仕上げに大車輪の頃であったと思う。

私は、初めて担当する監査役業務の基本について、一から勉強する必要に迫られたが、実務的には、塘さんが敷いてくれたレールの上に、そのまま乗ればよかったのだから、誠に幸運であったといえよう。

私自身、2002年(平成14)までは、ゲストハウス名誉教授の仕事も兼務しながらでもあったので、上場準備のため特別に苦労した記憶はあまりない。

塘さんとは、1999年(平成11)5月から2001年(平成12)5月まで、ローソンの事業年度で第25期と26期の2年間、共に常勤の社内監査役として、親しくお付き合い頂いた。

とても温かくサポートして頂いたことに感謝している。

私は、監査役の全国組織である日本監査役協会主催のセミナーなどに積極的に参加して、「監査役はいかにあるべきか」や「監査役の実務」などに付いて、学習を重ねた。

毎年、春秋と定例的に開催される協会主催の「監査役全国会議」には、塘さんと共に毎回参加したが、全国の一流企業の監査役2000人が一堂に会して、時代が要求する経営監査課題に付いて、熱心に研鑽に励む様子は、誠に壮観であった。

私見であるが、本質論からいえば、日本監査役協会は、経営者を代表する団体である「経団連」とは、本来、対等の立場なのであり、日本企業のあるべきコーポレート・ガバナンスの実現を目指す指導的役割を負う組織なのであろうと思う。

現状は、経団連だけが表面に出て、それに比べると監査役協会の影が薄いように見えるのは、そこまでの社会的認識が深まっていないからなのであろう。まことに残念である。

 

<「ローソン・三菱商事交流会」で、筆者と塘さん並んで>

上場直前の第25期株主総会は、2000年(平成12)5月、大阪の吹田市文化会館で、上場後の株主総会のリハーサルを兼ねて、上場企業並みの形式と手続きで、入念に開催された。

そして、いよいよ本番の上場後初の第26期株主総会を、1年後の2001年(平成13)5月に、迎えることになる。

会場は、新大阪駅近くの大阪メルパルクであった。

その何れにも、塘さん、私、地頭所さん、小松さんの四人が出席し、私が代表して監査役会監査報告を行った。

何しろ、初めての経験であったので、非常に緊張したことを覚えている。

翌年、2001年(平成13)2月、大株主がダイエーから三菱商事へと代わると共に、ローソンの役員メンバーが一新されてゆくことになった。

ローソンが上場直後に、ダイエーグループから離れることになったことは、塘さんには勿論のこと、私にとっても、非常に寂しいことであった。

「監査役会名簿」

因みに、私の在任中の監査役会メンバーは次の通りである。(敬称略)

 

ーー上場前・第25期(1999年度)&上場の年・第26期(2000年度)ーー

[常勤監査役]・塘 敬夫・ 鈴木貞夫 [非常勤監査役]・地頭所五男・小松 啓史

非常勤監査役は、元公取委出身の地頭所五夫さん、当時のダイエー経理本部長の小松啓史さんであった。

地頭所さんは、上場後も引き続いて、流通科学大学教授を兼任されながら、非常勤監査役として、特に公取法関連事項に付いて、詳しく指導・助言を頂いたことは忘れられない思い出である。

ーー上場後2年目・第27期(2001年度)&上場3年目・第28期(2002年度)ーー

[常勤監査役]・児島政明・鈴木貞夫 [非常勤監査役]・地頭所五男・真田佳幸

児島さん、真田さんは、共に三菱商事出身、論理的で、分析力に優れた、時にシャープな感覚を示されたが、同時に明るい性格で、柔軟な思考の持ち主であり、まさに監査役として最適任であった。

私は、コンビ二の現場感覚を軸にして監査役の仕事に取り組むことで、お互いに、楽しく仕事をすることが出来たと思う。

 

<児島さん・真田さん・地頭所さん・筆者> <真田さん・小沢さん・児島さん・筆者>

ーー上場4年目・第29期(2003年度)--

[常勤監査役]・児島政明・鈴木貞夫 [非常勤監査役]・真田佳幸・小沢徹夫

この年の株主総会で、地頭所さんが退任され、弁護士の小沢さんが社外監査役に選任された。

小沢さんは、株主代表訴訟などの事案で、既に多くの実績を上げられていた企業法務の専門家である。

法律家の視点に立った助言を多く頂くことが出来、心から感謝している。

2004年(平成16年)5月、この年から、株主総会会場は東京へと移る。

この第30期株主総会で、私は監査役を退任し、特別顧問『ローソン親善大使』に就任する。

監査役として満5年勤めたことになる。70才になっていた。

退任に当たり、監査役室や役員室の皆さんに、心に染みる送別の宴を開いて頂いたことは、とても嬉しいことであった。

 

<監査役室・役員室秘書の皆さんと>

次号では、私の監査役活動の一端などを紹介したいと思う。

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