第386話 天目山の蕎麦切伝説

      2016/11/22  

平成28年11月12日、江戸ソバリエ神奈川会による2回目の蕎麦奉納が催された。
会場は蕎麦切発祥伝説をもつ山梨県甲州市の天目山栖雲寺である。
住職青柳師の読経のなか、木下善衛さんと寺西恭子さんが、恭しく開山業海坐像へ、山田義基さんと小生が本尊釈迦如来坐像へ蕎麦の実と蕎麦切を奉納した。
この日は一緒に献茶も行われた。抹茶も、挽臼なくしては始まらないものである。だから、茶道も麺文化も挽臼伝来と共に始まった。そういう意味では蕎麦切とお茶の奉納は意義あることだと思う。
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それに今年は、同時に「栖雲寺宝物風入れ展」も開催された。
拝観すると、宝物の中で目をひくものがあった。「天目茶碗」と「十字架捧持マニ像」である。
もともと甲州天目山は木賊山といわれていた。それを中国浙江省杭州の天目山で学んだ入元僧業海本浄が、杭州の天目山と似ているということで当地に天目山栖雲寺を開山した。
そんなところから、蕎麦切の技術も中国より直接持ち帰ったものと、私は想定しているが、二品はそれを補強するような宝物だと思った。

先ずは「天目茶碗」。むろん抹茶茶碗の一種であるが、その名の通り鎌倉時代に浙江省の天目山で修行した僧たちが帰国の際に持ち帰ったところからわが国で人気となった。
その名は国宝「曜変天目茶碗」でつとに有名である。ちょうど今、国立博物館の「禅」展でも、たくさんの天目茶碗が紹介されているが、いずれも宝石のように美しい。それに比べると、残念ながら当山のそれはそこまではないが、歴史からみれば、価値あるものだと思う。
次に「マニ像」である。「マニ」は「マニ教」の「マニ」。今は消滅した宗教だから詳しいことは知られていないが、3世紀ごろイランのマニという人物が創始したらしい。一時は東西で勢いをもち、6世紀には中国大陸へ及んで一時は浙江省・福建省などで広まったという。
伝播した理由は、各地の宗教であるキリスト教、ゾロアスター教、仏教、道教などを巧みに混合して伸びていったということらしい。じゃあ、なぜ衰退したかと疑問をもつが、そこまでは分からない。
とにかく、それは確かに胸元に十字架を掛けた仏像である。
NYのメトロポレタン美術館の調査では、元時代(13~14世紀)に描かれたものに間違いないという。
元時代・・・、いずれも入元僧業海の匂いがプンプンするようではないか。すでに伝説は消滅したのかもしれないが、本人の大陸土産ではなかったのかと思えてくる。それゆえに、蕎麦切の技術も共に業海上人の大陸土産だと想像するわけである。
ただし彼らは、蕎麦切だけを意思をもって持ち込んだのではない。多くの物を土産とし、そのうちのマニ教は日本人の肌に合わず、天目茶碗は珍重され、蕎麦切は土着して日本独自の蕎麦となってゆくのである。

おまけ・・・。
今年はさらに「囲炉裏café」も開店していた。「囲炉裏でお茶とお菓子をいかが」というわけである。棚を見ると、山梨の実を漬けたお酒を置いてあった。
業海上人や武田一族のお墓を見守るようにして立っている山梨(和梨)の木にたくさん実が成ったから、リキュールに漬けたとご住職がおっしゃる。まさに山梨のお酒とはこのことだ。

《参考》
・第2回江戸ソバリエ神奈川の会、蕎麦奉納(平成28年11月13日 記事)
・第1回江戸ソバリエ神奈川の会、蕎麦奉納 https://fv1.jp/13565/
・「禅」国立博物館 展示
・「曜変天目茶碗」(静嘉堂文庫美術館:蔵)
・「山梨日日新聞」(平成28年11月12日記事) 記事
・蕎麦春秋.com 記事
http://www.sobashunju.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=358

〔文 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる
〔写真 ☆ 江戸ソバリエ神奈川の会 五十嵐静夫〕