第399話 和食の原点、ここにあり

      2017/01/31  

~ 伊勢神宮参拝記-1 ~

「神道とは何だろう」と思うことが、誰しもある。
「宗教」のようだが、仏陀やキリストやアッラーのような形あるカミ様はいない。だからといって、「民俗」というにはあまりにも全日本人に浸透している。
といった疑問を持ち出したのは、出張のついでに伊勢神宮までやって来たものの、「伊勢神宮へ行ってきた」と書き出すのは能がないと思ってのことだった。が、やっぱり神道を語るのは易しいようで難しい。
確かなことは、杜を歩いて来て、正宮に向かって礼拝して拍手を打つと、まるで帰巣本能を満たしてくれるかのような「日本人感」が沁みてくることだ。

この伊勢神宮内宮外宮から成っていて、内宮は天照大御神、外宮は豊受大御神が祀られている。
アマテラスは天皇家の祖先神、元は対馬で信仰されていた神であったが、推古朝あたりから皇祖神とされた、と哲学者の上山春平は述べている。
トヨウケは元は稲の霊、穀物神。「トヨ」は尊称、「ウ」は単なる発語だから、「ケ」の方に意味がある。「朝餉・夕餉」の「ケ」=「」の神である。つまりは天照大御神が召上る大御饌の守護神として、当宮に在すというわけである。
神社だから、神様を祀るのは当然だが、迫力あるこの外宮全体がほぼ御饌神の宮というところは凄いと思う。
川添登は、トヨウケを祀る「外宮」自体に意味があると言っている。すなわち古代の穀物倉庫は権力の象徴だ、と。建築家らしい視点だ。今流にいえば、農水省・大蔵省の直轄倉庫といったところだろう。
それはともかく、この外宮の正宮・御饌殿では、神々のお食事である「御饌」を朝夕2回お供えする「日別朝夕大御饌祭」が、豊受大御神が当地に遷られて以来1,300年余、1年365日欠かさずに行われているというから、これもまた凄いことだ。
「大御饌祭」に奉仕するのは ― 分かりやすくいえば、実際に神様の食事を作る料理人は禰宜・権禰宜・宮掌・出任2名だ。
神様の料理とは? それを目撃できる人はめったにいないだろうから、資料によって推察すれば、禰宜は前日の夕方、当日に奉仕していた禰宜から引継ぐらしい。権禰宜以下は午後8時までに参籠し、朝5時(冬は6時)から、神様の台所である忌火屋殿で、古式に則って木と木を擦り合わせて火を鑚出すことから始める。その火を竃に移して甑で蒸して「強飯」に、夕御饌も、朝御饌と同時にお調理することもあって、全部で1時間半ほどかかるという。
御米は、伊勢市楠部町にある神様専用の「神宮新田」で収穫した物。
「蒸す」というのは、古代大陸から伝わったころの調理法だろう。水がさほどクリーンとはいえない地区では蒸すのが最良の調理法だった。だから饅頭も蒸した。しかし、清浄な水が豊富な日本列島では蒸す必要がなく、炊く方法に取って代わった。蕎麦も「最初は蒸していた」とよくいわれるが、その通りであろうし、それが蕎麦が大陸から伝来したことの証拠であるが、それは短期間であった。蒸し蕎麦はうまくないから、日本ではすぐに茹でる方法に取って代わった。
さて、「祭」の御水は、毎朝、藤岡山の麓の上御井神社の清浄な井戸水が使われる。
御塩は、五十鈴川の川口にある「潮合」という御塩浜で、夏最も暑い土用に高濃度の海水を汲み上げ、大きい鉄の平釜で一昼夜煮詰めて荒塩にして御、塩殿で三角錐型の土器に詰めて焼き固めた「堅塩」。
海魚・海藻は、伊勢湾で獲れた鯛、夏季は魳・鯥・鯵・鯣と、荒海布・昆布・鹿尾菜など。
野菜・果物は、伊勢市二見町溝口の五十鈴川流域にある神宮御園で育てられた野菜(ほうれん草・大根・人参・牛蒡など)や果実(西瓜・枇杷・葡萄・梨・林檎など)。
御箸台は、古代から良質の粘土に恵まれている明和町の神宮土器調整所で作られる。

こうして調えられた御饌は、先ず御箸台に御箸を置き、次に御飯三盛、四寸の土器にトクラベ(蚯蚓灰)か、赤芽柏の木の葉を二枚敷いてこんもりと盛る。それから御水御塩御酒(清酒三献)、乾鰹海魚海藻野菜果物を並べる。
そして、それを天照大御神・豊受大御神らの神々のために六膳調え、一日二回お供えをする。
時間は、4月~9月は午前8時に朝御饌、午後4時に夕御饌。10月~3月は午前9時に朝御饌、午後3時に夕御饌をお供えしてから、禰宜が祝詞を奏上し、民の平和を祈って八度拝を続けてきた。

しかしながら、「オヤッ!」と思うことがある。それは御箸の置き方だ。私の拙い理解では、平安時代までの日本人は箸と匙を使い、準備も縦に置いていた。そして鎌倉・室町の武家の時代あたりから、箸だけになり、置き方も横向になった。ところが、豊受大御神の膳では箸だけで、匙はなく、中世以来の横向だ。たぶん、いつの時代かに様式の変更があったのかもしれない。

それはともかく、この大御饌祭から見るかぎり、外宮というのは、いわば天照大御神ら「神々の食堂」だと言ってしまっては畏れ多いかもしれないが、1,400年ちかくも祈り続けてこられたことは日本人の精神的支えになっているといってもいいだろう。
その御献立はが主役。そして生命の源である水と塩がある。さらに米と魚という組合わせ、しかもこれら全て地産物
総じて、「和食の原点」がここにあるといえる。

朝宵に 物食う毎に 豊受の 神の恵みを 思え世の人 本居宣長

《参考》
・ふりがな
神道=シントウ、天照大御神=アマテラス オオミカミ、豊受大御神=トヨウケノ オオミカミ、大御饌=オオミケ、日別朝夕大御饌祭=ヒゴト アサユウ オオミケサイ、権禰宜=ゴンネギ、宮掌=クジョウ、忌火屋殿=イミビヤデン、鑚出す=キリダス、竃=カマド、甑=コシキ、強飯=コワイイ、夕御饌=ユウベノ ミケ、朝御饌=アシタノ ミケ、上御井神社=カミノミイ ジンジャ、魳=カマス、鯥=ムツ、鯵=アジ、鯣=スルメ、荒海布=アラメ、鹿尾菜-ヒジキ、御飯=オンイイ、蚯蚓灰=ミミズバイ、赤芽柏アカメガシワ、

・『JAPANISE』01号(伊勢御遷宮委員会)
・矢野憲一『伊勢神宮』(角川選書)
・南里空海『伊勢の神宮』(世界文化社)
・川添登『民と神の住まい』(講談社学術文庫)

〔文 ☆ エッセイスト ほしひかる