第405話 世界の鮨

     

皇居二重橋前の「楠公レストハウス」というところで、和食文化国民会議のセミナーが時々開催される。
この会場での開催は、阿部総料理長の江戸の膳の復元料理が楽しみだ。これまでも何度も復元された江戸の膳を頂いた。
今日はというと・・・。運ばれてきたお膳の真ん中に鎮座している大きなお鮨が主役だろう。飯の量は48g、稲荷寿司くらいの大きさである。しかも縦にしてもヅケの鮪はずり落ちない。これが江戸前の握鮨の最初の姿だろう。
鮨の歴史というのはかなり古いらしい。中国では漢の時代、日本は遅れて飛鳥の持統天皇の代にはそれらしいものがあったという。しかし、その時代の鮨は今の握鮨とはまったく違うが、その変遷を述べるには、あまりにも勉強不足のため難しい。
ただ言えるのは、17世紀末にガラリと変わった鮨が登場したことだ。それは江戸四ツ谷の医師松本善甫創案の早酢が鮨の世界を変えたということらしい。つまり、これによって「一夜鮨」「即座鮨」が可能となり、四ツ谷に鮨屋という店(「近江屋」「駿河屋」)が初登場し、そして19世紀には伝説の屋台鮨「与兵衛鮨」の爆発的に人気となり、今の江戸前鮨にいたるというわけである。
余談だが、鮨屋、天麩羅屋はカウンター形式が多いが、それはこの「与兵衛鮨」のような屋台スタイルが源流である。
それにしても、一番江戸らしい食店の、一番日本的な様式を、なぜ「カウンター=計算」というのか? それが日本人のいい加減さなのか、日本人の逞しさなのかと迷ってしまうが、日常の普通の日本語として通用しているから不思議なものである。
それはマアいいとして、現在の鮨は「江戸前」の精神だけを残し、ネタは江戸前を脱し、世界中の魚の刺身のせるようになった。
「刺身をのせる」と表現したのは、「今の鮨は、ネタがすぐ落っこちる」と皮肉を言っていた銀座の老舗鮨職人の台詞だ。「言っていた」というのは、惜しくも昨年亡くなられたからだが、親父さんも「ヅケという江戸の鮨職人の一仕事まで省いてしまった」と言っていた。
とはいっても、「江戸前」のネタに拘らずシンプルになったことが、「日本の鮨」へ、そして「世界の鮨」へと発展していった原因であるから、ここは面白いところである。
現在では、ネタの豊富さはまちがいなく握鮨の魅力のひとつである。玄界灘の・・・、オホーツクの・・・、ノルウェーの・・・と今の鮨ネタは世界産だ。
だから、いつも鮪、烏賊、蛸、卵焼しかない街の鮨屋は、今や絶滅寸前。

ともあれ、この江戸前鮨のステップ・アップは、江戸生まれの蕎麦も、鰻も、天麩羅も、いや和食界にとって大いに参考にすべきところかもしれない。
と、大きな握鮨を口一杯にしながら思ったが、「じゃあ、お蕎麦はどうすればいい?」かというと、トント考えが及ばない!

〔文・写真 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕