第414話 箸袋コレクション

     

別館:「嘴から橋まで、箸のお話」

ご承知のように箸食はアジア中心であるが、面白いことに箸文化圏麺文化圏でもある。
だから、蕎麦麺をあちらこちらと食べ歩いているうちに、箸についてのレポートが書けたので、下記のブログに掲載した。
http://www.edosobalier-kyokai.jp/tk/thinktank.html#list3

お蔭さまで、箸袋という物もずいぶん貯まってしまった。
そんな箸袋だが、現代人は何となく、箸に箸袋は付き物だろうと思うが、現在のような紙の箸袋が一般的になったのは、明治・大正以降である。
先ずは、明治時代(1889年)、山陽鉄道開通の際に折詰の駅弁を販売開始。その弁当に添えた箸を紙で包んだ。それでも、街の店の多くはまだ箸立や箸箱に束にして入れてあったが、衛生問題が指摘されるようになった大正ごろから、今の箸袋が普遍的になってきた。
ただ、その由来はというと、平安時代の女官たちが布製の箸袋を作ったり、室町時代の祝膳や江戸時代の御成のときには使っていたらしく、一応古いことは古い。
そんなことを説明しながら、あるテレビ局の人に箸袋を見せたら、「スゴイ!」と驚いて、箸袋の山を撮っていったが、結局は放映にいたらなかった。やっぱり「たかが箸袋」であって、それ以上でも何でもないということであろう。

そもそもが、前回の絵の橋にしても、今回の山のような箸袋にしても、それはレポートを書くにあたっての底力、つまり血と汗なんだけど、そんなものは人に見せる物ではなく、自分だけの財産なのである。
自分のレベルと比較すれば、罰当たりになるかもしれないが、栽培蕎麦のルーツを特定された大西近江先生は約70回も中国を訪問された上のことだった。つまり69回分の血と汗の結果なのである。
伊藤汎先生にしてもそうである。家の床が抜けるほど膨大な古書に目を通して、寺方蕎麦を研究されたのである。

マ、とにかく、「たかが箸袋」だけど、せめて分類だけでもして上げると、こうなる。
① 寺社の物 ― 裏には、道元以来の「食事の心得」などが書いてある。
② お祝時の物 ― 結婚式用や、十二支の絵付、なかには窓から「祝」の字が見える物、金銀の紐で結んだ物もある。
③ 旅館の物 ― 裏にはその地方の民謡の歌詞などが書いてある。
④ 衛生的な物 ― 紙の鞘式ではなく、ポリエチレンなどのパック型。
⑤ 一般的な物 ― 店名入りと店名なしがある。
⑥ アイディアのある物 ― 爪楊枝付とか、ミニ箸袋とか、和の雰囲気を出すために人形付とか。
⑦ おしゃれな物 ― 料理に合わせたり、季節に合わせたり。

このようにお店側も苦労したり考えたりして箸袋を用意しているし、また個々人にも関心をもっておられる方も少なからずいらっしゃる。たとえば、石綿様(江戸ソバリエ・ルシック)は毎年十二支の箸袋を作っておられるし、写真の人形付は「日本橋そばの会」の女性陣の作品である。
そんなわけだから、「たかが箸袋」だけど、あまり粗雑には扱ってほしくないと思う。
なのに、食べ終わった後の卓を見ると、無残に散らばっていることも多々ある。
どうか、「蕎麦通、跡を濁さず」の精神で、使い終わった箸は箸袋に静かに収めてほしい。
それが、ここに「箸袋」を採り上げた理由である。

 

《参考》
*その他の箸袋はエッセイ「嘴から橋まで、箸のお話」をご覧ください。

〔文・写真 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕