第436話 「更科」で太打ち

     

~ 第8回 更科蕎麦と江戸野菜の会 ~

麻布の「更科堀井」で催している「更科蕎麦と江戸野菜の会」も今夏で第8回を迎える。当会は、和食らしく季節感を大事にしようということで、四季ごとに開催しているから、まる2年が経過したことになる。
今回は冒頭、堀井良教社長が、この6月に【文化芸術基本法 第十二条】の一部が改正され、生活文化の例示に「食文化」が追加されたことによって「食が文化となったとのお話があった。
江戸ソバリエは、知識は頭の栄養、料理は身体の栄養、美味しさは心の栄養であるとしながら食文化を意識しているが、この「更科蕎麦と江戸野菜の会」も、大竹道茂先生による江戸野菜についての知識、そして林幸子先生による献立の説明を聞いた上で、その料理を味わうことにしている。共に、立派な食文化活動であると思う。

さて、今日の料理も一から十まで、皆さんに大好評だったが、その御献立を見てもらおう。
一、小金井真桑瓜と西瓜のスムージー
一、檜原産おいねのつるいもの素揚に 乾練馬大根葉塩
一、東京大越瓜と穴子の生春巻 梅トマトソース
一、更科蕎麦と八丈オクラ納豆
一、海老擂身と八丈オクラ
一、東京夏野菜冷しおでん
    雑司ヶ谷茄子 内藤南瓜 滝野川牛蒡 鶏もも肉
一、滝野川牛蒡早生の擂込太打 垂れ味噌付
一、乾練馬大根コンポート ジュレ

わけても《東京大越瓜と穴子の生春巻 梅トマトソース》で供された〝魅惑のソース〟はいつまでも舌に記憶が刻みこまれそうだ。
よく、ソースは西洋料理には欠かせないものといわれているが、「Sauceの語源というのはsalt(塩)を意味する古代語だ」とは、ハロルド・マギ一さんの『キッチンサイエンス』(日本語版)の「ソース」の章に書いてあることである。
マギ一さんはサンフランシスコ住の食のサイエンスジャーナリストであるが、来日されたとき『ほそ川』で一緒に蕎麦を食べたことがある。そのためか、彼から分厚いご著書を贈られたが、彼の説から推察すれば、ソースというのは調味料から出発し、だんだんと調味料でもなくスープでもない、とろみのある風味豊かな配合調味料へと進化したのだと想われる。
そんなところから、ソースはシェフの顔になるともいわれるが、われらが林先生もこの「梅トマトソースは、私の得意とするところ」とおっしゃっていた。
今日のような暑い夏には、梅+トマトの魅惑のソースはよく合っていた。

また《海老擂身と八丈オクラ」》は山海の味を凝縮したようだった。
八丈オクラというのは一般的なオクラより長く大きい。それでいて、表皮にあの産毛のような舌触りはなく、ツルンとしていて、噛んでも肉が柔らかい。よくイタリアン系のレストランでは生野菜サラダとして、氷を入れた大きなガラス器の中に他の野菜類と共に挿してあることもあるが、とにかく大形だから割って、海老の擂身を詰めたわけだ。まさに山海の珍味が一口で味わえる逸品だった。

《檜原産おいねのつるいもの素揚に 乾練馬大根葉塩》の物語も口福ものだ。
昔々、都留から山を越した檜原村へ嫁入りする娘に親が持たせたのが《つるいも》だったという。それを舅・姑に食べさせてやれば、旨いからきっと嫁を気に入ってくれるにちがいないと、その美味しさを親心が保証している江戸時代のじゃが芋である。乾練馬大根葉の粉末塩も、このじゃが芋にはよく合っていた。

だが、何といっても、衝撃的だったのは《滝野川牛蒡早生の擂込太打》だ。
《更科蕎麦と八丈オクラ納豆》で口にしたように、「更科」といえば白くて細いのが江戸蕎麦の代表と信じ切っている江戸ソバリエの前に牛蒡の香りがプンプンする黒くて太い蕎麦が供されるのだから、驚きだ。
河合料理長の話では蕎麦粉の半分ぐらいの牛蒡の量が入っているという。それを元禄期ごろの蕎麦汁だった垂れ味噌で食する。牛蒡の強烈な味には、味噌がよく合う。

ところで、会終了後、何名かの方から堀井社長がおっしゃっていた【文化芸術基本法】の中身を教えてほしいとの希望があった。さすがは「更科蕎麦と江戸野菜の会」のメンバーである。ポイントはちゃんと耳にいれておられると感心した。
さっそく翌日、小生が書いていた『蕎麦談義』第434話の「美味しいものを食べることは文化です。」をご案内して差上げたが、質問された方の頭の中には何か思うところがあるのだろう。
だから、私はここから新しい何かが生まれるだろうとの予感がした。
なぜなら、この会はそれだけの食文化価値のある会だからだ。

《参考》
*林幸子『たれ・ソース・ドレッシング』(西東社)
*ハロルド・マギ一『マギー キッチンサイエンス』(共立出版)
ほしひかる『蕎麦談義』第434話 美味しいものを食べることは文化です。

〔文・写真(太打ちと更科蕎麦) ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる〕