第457話《清張 蕎麦膳》

     

武蔵野の水と緑と寺と蕎麦」
これは深大寺地区のキャッチフレーズである。
朝日カルチャーの「蕎麦屋で蕎麦談義」講座も17回目になるが、今回は深大寺の「門前」さんで開いた。
当日はキャッチフレーズにあるように、先ず国宝の深大寺白鳳仏そば守観音深沙大王堂をご案内した。

☆仏像と和食
いま東京国立博物館で『運慶展』が開催されているが、第450話「鎌倉革命」ではⅳ)運慶という人が木彫の和風仏を完成させたことをご紹介した。
ⅲ)その前の天平仏は乾漆で造っていたし、ⅱ)さらにその前の白鳳仏や、ⅰ)飛鳥仏は銅で造られていた。
つまり、わが国における仏像の制作材料は、銅 ⇒ 乾漆 ⇒ 木と、より作りやすい物に変わっていったというわけである。
また、鎌倉以降のサムライの時代に和式仏像は完成したともいえるし、別の見方をすれば発展がここで止まったともいえる。
そして、明治以降、ヨーロッパのあらゆる彫刻が渡来し、日本は仏像彫刻から解放され、彫刻の自由・拡散の道を歩むことになったことはご承知だろう。
もちろん、屋外の石仏もあるが、それはおくとして、屋内に在す仏像の推移はかくのごとしであることを頭に入れたうえで白鳳仏を観賞していただければ幸いである。

☆清張蕎麦膳
続いて、予約していた「門前」さんに伺ったが、御献立に描かれていない料理を三膳ほど多く頂いたりして、皆様も「あゝ、幸せ」と思っていたとき、店主の浅田さんが座敷に顔を出された。
いろんなお話をされたその中で、作家の松本清張さんがお見えになって、小説『波の塔』を書かれたころの話になった。
もちろん、小説の中にも「門前」らしき蕎麦屋が登場する。
主人公の田沢輪香子と佐々木和子が深大寺を訪れ、虹鱒と蕎麦を食べる場面である。その虹鱒を料理してくれるのは今の店主のお父上だ。
清張ご自身も「門前」を訪れたときは、決まって「山菜天麩羅、虹鱒塩焼、 ざる蕎麦」を食べられたということで、店では《清張メニー》とか、《清張蕎麦膳》などと呼んでいるらしい。
そんなわけで「門前」では、武蔵野市にある「前進座」が清張原作の舞台をやるときには、提携してその清張メニューを供することにしているという。
それを聞いた皆さんは「今度はその《清張蕎麦膳》を頂きに来ます」ということになった。

虹鱒といえば、川魚と蕎麦の組合せはよく見られる。
「松翁」(千代田区)の稚鮎の天麩羅は絶品だし、鮎の塩焼は獅子文六が「やぶ忠」の蕎麦会で食べたと記している。山女、岩魚の塩焼も甲州などの山岳蕎麦屋に行くと提供してくれる。そして「門前」さんでは虹鱒というわけだ。
こうした川魚はたいてい夏の魚だ。だから、夏を乗り切るために、美味しくて手軽な川魚を食べ始めたのが初めかもしれない。
ただ、江戸蕎麦と魚の組合せというのは、江戸前の穴子が最初だ。
なのに、松本清張は虹鱒が気に入っていた。
清張は、推理小説の中で社会派という新分野を開拓した作家だ。だからこそ、伝統の江戸前の魚ではなく、山野の川魚に何かを感じたからにちがいない

《追記》
*松本清張『波の塔』(文春文庫)は昭和34年ごろに書かれた小説だが、女性たちの言葉遣いが何と上品なことかとあらためて驚いてしまう。
ほしひかる筆「文京蕎麦談義-20」(『空』第68号)

〔文・挿絵 ☆ 朝日カルチャー講師 ほしひかる〕