第214話 十三夜名月膳

     

季蕎麦めぐり(十四)

 

 「ごーん・ごーん・ゴーン♪」

 午後五時、深大寺の鐘の音が流れてくる。

 「門前」の店主・浅田さんによれば、子供のころから聞きなれたこの鐘の音の三つ目が〝時の鐘〟だという。朝は六時、昼は十一時半、夕方は五時に、そして朝、夕は九つ、昼は十五回、鐘の音が秋の静かな深大寺界隈に漂う。

 今日は十三夜、深大寺の鐘の音を聞きながら《十三夜名月蕎麦》をいただいた。御献立は次の通り。このうちの《変わり汁》は他では見られない、珍しいものである。

 一、      薇煮

 一、      胡麻和

 一、      蕎麦豆腐

 一、      蕎麦ちっぷ

 一、      蕎麦焼味噌

 一、      蕎麦掻 白神山地産

 一、      山女唐揚

 一、      蕎麦変わり汁 音江産

 一、      季節の天麩羅

 一、      深大寺手打蕎麦 深大寺産 

 一、 荒碾蕎麦 島根産・鳥取産

 一、 季節の甘味

   澄む水に さやけき蔭の映ればや 今宵の月の 名にながるらむ 

 と、十三夜をうたった和歌〔大宮右大臣・藤原俊家(1019~82)〕があるが、水と緑の深大寺にふさわしいと思う。

深大寺の門 ☆ 写真ほし】 

 それから、午後六時。「深大寺十三夜の会」が始まった。

 ヒ~♪ 竜笛が風のように啼く。

 ジャラン♪ 琵琶が何かの足音のように続く。

思えば、和樂は現代人の耳には不思議な旋律だ。参加者のうちのお一人が「あの世とこの世の境にいるようだ」と言ったが、たしかにそんな印象がある。

 

深大寺十三夜の宴 ☆ 写真S・Yさん】

 今宵のような「十三夜」は日本生まれの行事であり、もうひとつの「十五夜」は中国から伝来した行事であるという。どちらも、宇多上皇(第59代天皇)が始めた雅な宴である。が、その誕生はドロドロした政治闘争の末であった。

 当時の宮廷は、宇多上皇醍醐天皇の仲の悪さ、右大臣菅原道真(845~903):左大臣藤原時平(871~909)の政治対立、道真の唐風文化を支持する官僚:時平の国風文化を支持する官僚の足の引っ張り合いが続いていた。それに終止符を打ったのが、時平による思い切った道真追放であった。その後、時平は意欲的に政治改革に取り組み、平安中期に理想の治世が行われたと評価されている。

 敗れた宇多上皇は、時平が909年に亡くなるや道真を偲んで唐風の「十五夜の宴」を張った。しかしながら、もはや時代は変わっていた。道真すなわち外来の唐風文化を拒む流れは強かった。十年後、上皇は皆が望む和風の「十三夜の宴」を張らざるをえなかったのではなかったか・・・。

 と、私は「十三夜」誕生秘話を想像するのであるが・・・。

 過ぎ去った古の世界を想い起こすためには、鐘と笛と琵琶の音ほど適っているものはないだろう。

参考:蕎麦談義(第7話)、季蕎麦シリーズ(第179、173、156、155、152、149、145、143、140、136、131、130、129話)

〔江戸ソバリエ認定委員長、朝日カルチャー野外講座講師 ☆ ほしひかる