第467話 《万太郎好み》

      2021/11/10  

~ 世界都市東京へ ~

   車道には大勢の人があふれていた。そうか。今日は土曜日、銀座は「歩行者天国」だった。ほとんどの人は平和を満喫しているように幸せな顔をしている。ただ、すれ違う人たちの会話からすれば、半分は外国人であった。
 松屋デパートの前に出ると、この道も満員。裏通りに廻れば、大正の雰囲気のある古民家がひっそり佇んでいた。ここが江戸料理の店「はち巻 岡田」であった。
 旧「なべ家」の福田浩先生(江戸ソバリエ講師)に誘われて第1回銀遊会に参加するため、私は戸を開けた。家の中は、平成の銀座とは思えないような〝大正〟の空気が漂っていた。
 福田先生と「岡田」の三代目、それに岩波書店前社長のYさんや三田文学会理事のSさんらがこの銀遊会を立ち上げたという。
 今日の会は、声優の松尾智昭さんによる朗読から始まった。作品は水上滝太郎が昭和6年に上梓した『銀座復興』だった。「銀座」を材にした小説を銀座で朗読 ― これだけでも粋な企画だと思うが、今日の場合はさらにそれを越えたところがあった。というのも、小説は大正時代の関東大震災で人々が絶望し、そして廃墟から立ち上がるという物語であるが、その人々の中に「はち巻岡田」の店主がいたのである。その「岡田」の店主は、「復興の魁は食べ物にあり、滋養第一の料理は岡田にある。」と貼り出して頑張ったというエピソードをもつ人物であった。そういう創業者が登場する小説の朗読を本物の「岡田」で聞く。何と贅沢な企画だろうと思った。

 さて、朗読が終わると、お楽しみの会食会であった。膳のテーマは《万太郎好み》となっている。
 なぜ、ここで久保田万太郎かというと、万太郎は、三田文学会の仲間である滝太郎の『銀座復興』を昭和19年に舞台用の脚本として発表、そして尾上菊五郎一座が帝国劇場で戦後初の芝居として上演したのである。
 万太郎と滝太郎は三田文学の仲間であり、かつ「岡田」の常連だった。
 そんな銀座尽の関係の中で頂く《万太郎好み》膳は、次のようなものであった。

一 空也最中
一 岡田碗
一 〆鯖
一 玉子焼
一 牡蠣田楽
一 御田
一 茶飯
一 べったら漬

 噂の名物「岡田碗」 ― 糸のような白葱と鶏、いぶし銀のような味が江戸料理だ。それに牡蠣田楽 ― 牡蠣の旨味と味噌がよく合って、今まで食べた物の中でも屈指の美味しさであった。
 江戸っ子の万太郎は、こうした江戸料理はむろんのこと、江戸蕎麦も好んでいたようで、更科堀井蓮玉庵神田まつやなどの老舗蕎麦屋にも足跡を遺している。

 話を戻して、今日の小説朗読は‘大正’の大震災と銀座復興だった。それと並べるのはおこがましいところがあるが、私はかつて戯れに『コーヒーブルース』という小説を書いたことがあった。それは‘昭和’の高度経済成長期のころの銀座を舞台にしていた。その中で私は、大正、昭和の‘その先’の銀座を描きたかった。しかし実力のなさからその目的を果たすことができなかったが、たぶん冒頭に見た、日本人や外国人が歩いていた歩行者天国のような光景、言葉を換えれば「国際都市銀座」みたいなものではなかったかと、いま気づいた。

 帰り際、福田先生から「どうだった」と訊かれたので、「お蔭さまで、銀座を頂きました」とお礼を申上げた。

《参考》
*第1回銀遊会(平成29年11月18日)
*水上滝太郎 作『銀座復興』(岩波文庫)
*久保田万太郎 脚本『銀座復興』(『久保田万太郎全集』中央公論社)

〔文・写真(名物「岡田碗」) ☆ エッセイスト ほしひかる