第470話 和食、あるいは食の将来

     

腕も、頭も、口も達者な料理人といえば、「つきぢ田村」の三代目だろう。
その田村人気のせいなのか、ある会の新年会が「つきぢ田村」で開かれたところ、例会の3. 4倍の人が集まった。
案の定、ご挨拶ののっけから笑いの渦が巻くが、仰っていることは料理学校の講座のように整然としている。これまでも何回もお話をうかがったことがあるが、出汁のことなどはとくに分かりやすい。
たとえば、「つきぢ田村の味の基本」というパンフレットに紹介してある「田村のつゆ・垂れ一覧表」を拝見しても、江戸料理が濃口醤油、鰹出汁から生まれたということがよく分かる。

☆濃口醤油+味醂+出汁
つけ蕎麦・天ぶら蕎麦、冷やしそうめん・冷麦、天つゆ、天丼・親子丼・かつ丼、すき焼、湯豆腐の付けつゆ
☆濃口醤油+味醂
大茄子亀甲焼、魚照焼、焼鶏

いわゆる、江戸の味=江戸のつゆ=出汁+返し(濃口醤油+砂糖・味醂)というわけであるが、私たち江戸ソバリエは、イヤというほど耳にしているし、また小生も講演のときに濃口醤油はやや硬水の関東の水とよく合うということもふくめて必ずふれることであるが、先生の話は何回聞いても面白い。

ところで、その夜は私の隣にある若い紳士が座っておられた。立派な三つ揃いのスーツ姿は「殿下」という雰囲気すらある。頂いたデザインのいい名刺を拝見すると、こう記してあった。
「RICE MEISTER SHOP ○○○」
(?・・・)、判断をしかねていると、「米屋です」と仰る。
伺えば、米・粳米、ジャポニカ米・インディカ米、新米・古米、産地別の特徴を説明して料理に合うお米を販売しているという。
(もしかしたら、蕎麦より進んでいるかもしれない)と内心で思っていたところ、「これからの食業界はどういう方向になりますか? 教えてください」と質問された。
真正面からそう尋ねられると、面食らうが、講演のときに挿入している事柄をお話してみた。

一つは、和食のことである。「田村先生のような和食店の存在は大きい」と前置きしながら、和食というのは、英訳しづらい事物が多いということ。たとえば、和食、旨味、出汁、本枯節、醤油、味醂、蕎麦、山葵、酒・・・等々である。そうした物は、たとえば「酒」を欧米流に合わせて「Rice Wine」なんで云わせずに、「Sake」と称して酒文化まで理解してもらうようにすべきだと。

もう一つは、食べ物の機能のことである。
食べ物の条件は、次のように変化しているといわれている。
一次機能 栄養機能
二次機能 美味しさ(嗜好機能)
三次機能 美容・健康(生体調節機能)
私は、これに「〇次機能 満腹機能」を入れている。
そして江戸や明治・大正時代のことは別にして、少なくとも昭和の戦後は現実的には、次のように推移していると思う。
Ⅰ.満腹+栄養機能 ⇒
Ⅱ.栄養+美味しさ機能 ⇒
Ⅲ.美味しさ+生体調節機能 ⇒
Ⅳ.生体調節+?機能 ⇒
私の赤児期は食べる物がなくて衰弱し、「医師も見放していた」と亡き両親は語っていたが、それは私ばかりではなく、当時の赤児の多くがそうだった。
それから、小学校時代には「栄養、栄養・・・」と国を挙げて云うようになったが、何のことはない、実態は日本占領軍とアメリカによる輸出拡大政策のためだった。それでもわれわれが‘栄養’という意識を食事の中にもち始めたのは一つの成果であるだろう。
そうして高度成長期に日本はⅡに進み、現在はⅢへ移行したばかりである。ただ、この生体調整機能はまだ未開発の分野であり、今後は老若男女の目的別の食事とか、病気への対応などさらに進んでいくだろうし、食物アレルギーの問題も含めて、この機能への期待は大きい。
そして、Ⅳの時代であるが、これは私にはとても想像もできない。
そう言って、その若い人と握手をして別れたが、若い人が将来を考えていることに頼もしさを覚えた。

〔文・挿絵 ☆ エッセイスト ほしひかる