第224話 橋または箸の思想

     

食の思想家たち二十二、僭越ながらほしひかる

 

 昨今、国境辺りが騒がしい。

 そもそもが、境とか、際とかは昔から、疑惑の目で見れば難しい問題を含んでいる。「際どい」という言葉はこんなところから生まれたのではないだろうか。

 加えて人間は、二極対立のどちらかに立ち、物事を偏って見る傾向をもっている。

 国際社会においてはかつての東西問題、今でも燻っている南北問題。人間社会においては、セレブ:下層階級、老:若、男:女。社会面では真と虚や、光と影。まだある。情か、智か。自然保護か、経済発展か。芸術優先か、経営優先か。芸術的には美か、醜かetc・・・。

 いずれも、無理して線を引こうとすると、漱石が「兎角人の世は住みにくい」と言うように、キナ臭くなる。

 そんなとき、二極の、あるいは此方と彼方の端に立ち、何とか両者の橋渡しはできないものだろうか。少なくとも、此方に在って彼方を想うことはできないものだろうか。と、苦悩する人は少なからずおられるだろう。

 その解決のためのヒントとして、蕎麦通の教本『「いき」の構造』が大いに参考になるだろう。

 思うに、九鬼周造が思索した〝いき〟は、渋さの中にも、対極する派手さの中にもあるではないか。見方を変えれば、九鬼は、渋くもない、派手でもないところに〝いき〟という新しい価値を見い出した。

 そういえば、歌舞伎『直侍』の主役片岡直次郎が蕎麦を食べる姿は「なかなか〝いき〟だ」と好評である。その直次郎は元は侍今はやくざな町人という設定だが、どうやら〝いき〟の秘密はそこら辺にあるようだ。つまり直次郎は上層・下層の二つの身分をもつ男、言い方を還れば、侍でもなく、町人でもないところからくる立ち居振る舞いや雰囲気が〝いき〟という新しい居場所をつくり出したということではないだろうか。

 この「AとB」あるいは「AでもなくBでもない」という構造は、1960年ごろに現れた「アウトサイダー」的な生き方では決してない。

 というのは、九鬼はパリ滞在中に『いき』の準備稿を書いていた。

 恐らく、ヨーロッパで8年間(大正10年~昭和4年)も生活していた日本人九鬼の感覚は、自己:他者、自社:他社、自国:他国、の橋渡しを激しく強く渇望したにちがいない。

 そうした中にあって、哲人九鬼は世界目線で「A×B」を思索した。その結果⇒「独自の何か(「いき」)」を創出したのである。 

 つまりは、「A(此方、ヨーロッパ人、武士、渋さ、智)B(彼方、日本人、町人、派手さ、情)である、あるいは「A:B」または「AでもBでもない」周造の居場所は橋渡し」にあったのである。それが「九鬼周造の構造」⇒『「いき」の構造』ということであった。

 【ニューヨーク、マンハッタン・ブリッジ☆ほし絵

【サンフランシス、ゴールデン・ゲート・ブリッジ☆ほし絵 

【肥前・筑後国筑後川、昇開橋☆ほし絵

橋は珈琲で、木々は抹茶で塗った周防国岩国、錦帯橋☆ほし絵

【阿波国祖谷、かずら橋☆ほし絵

橋とお堂は珈琲で塗った近江国堅田、浮御堂☆ほし絵

 

 ところで私は、こうした「橋」も、あの食べる「箸」も、そして「端」でさえ同じ語源だろうと考えている。

 いずれも、此方(口)から彼方(食べ物)へと何かを運んだり、渡したりする任務があるからだ。手元の箸から遠方の「世界目線」を想像するのは難しいだろうが、箸に崇高な役割があることを予感させるものがある。なぜなら、箸は神様とのご縁が深いし、こんなおめでたい箸袋もある。

 めでたい箸袋

 

参考:九鬼周造『「いき」の構造』(岩波文庫)、九鬼周造『九鬼周造随筆集』(岩波文庫)、夏目漱石『草枕』(岩波文庫)、コリン・ウィルソン『アウトサイダー』(集英社文庫)、保田與重郎『日本の橋』(新学社)、

「食の思想家たち」シリーズ:(第224ほしひかる、222村上春樹氏、219新渡戸稲造、201村瀬忠太郎、200伊藤汎先生、197武者小路實篤、194石田梅岩、192 谷崎潤一郎、191永山久夫先生、189和辻哲郎、184石川文康先生、182 喜多川守貞、177由紀さおりさん、175 山田詠美氏、161 開高健、160 松尾芭蕉、151 宮崎安貞、142 北大路魯山人、138 林信篤・人見必大、137 貝原益軒、73 多治見貞賢、67話 村井弦斉)、

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長☆ほしひかる〕