第232話 四氣の料理

     

 

 昔々、兄香(せのか)と妹香(めのか)という仲のよい兄妹がいました。ある日のこと、人喰山姥が突然この二人の子供を襲ってきました。兄妹は手に手を取り合って必死で逃げましたが、しつこい山姥はいつまでも追っかけて来ます。兄は妹を守りながら、川を渡り、谷を下り、野を走って遠くまで逃げましたが、とうとう疲れ果てて眠ってしまい、二度と目覚めることはありませんでした。やがて兄が眠っていた所と妹が眠った所に小さな芽が出てきました。いつしか村人たちはそれを「生姜」、「茗荷」と呼ぶようになりました、トサ。

 3月16日、今日の予想気温は5℃~18℃。大雪が降った今年もやっと暖かくなってきた。

 そんな日に、料理研究家の林幸子先生主宰のグー亭で早稲田茗荷竹の料理会が催された。

  「茗荷」と聞いただけで、湯気の立った豆腐の味噌汁に数切の花茗荷が浮かぶ絵を想う人がいるだろうが、多才な林先生の料理はそんなものではない。多彩な茗荷竹料理を期待してまちがいない。

 先ずは、《スナップ豌豆の一口握鮨》だ。― スナップ豌豆の上には解した文旦のツブが乗っているが、それが宝石のように輝いていて、きれいだ。それにスナップ豌豆の食感が小気味いい。噛むと豌豆の下に隠れていた甘酢漬の茗荷の香りと、文旦の軽い酸味が春のはしりを感じさせる。

 「料理人にとっては、最初に出す料理が勝負だ」と言ったのは、天皇の料理人と呼ばれる秋山徳蔵だったと記憶している。勝負!といっても、武蔵と小次郎のように決闘するわけではない。後に続く料理をいかに期待してもらうか、食べる人の脳に豊かな衝撃を与えようということである。

 そういう意味では、春を予感する仄かな酸味で今日のもうひとつのテーマは「もうすぐ春だよ」と示しながら、小ぶりの《一口握鮨》に続くものを十分期待させてくれた。

 グー先生の名作は続く。《早稲田茗荷の湯葉巻》― 茗荷の甘酢漬と薄切の金町小蕪を一緒に湯葉で巻いてある。茗荷の甘酢漬の色がいいし、滑らかな舌触りがいい。

 《早稲田茗荷、金町小蕪、プチトマトのバーニャ・カウダ》― ミニ・グラスに入った大蒜とアンチョビ味のソース。茗荷竹はスティク状のまま。野性の繊維感をそのまま味わおうという一品だ。トマトの甘さで幸福感に浸れる。 

 《刻み早稲田茗荷竹と帆立のルッコラ・ソース》― 目を奪われるのが緑色のルッコラ・ソース。それと小さく刻んだ茗荷竹で生の帆立を頂こうというわけだ。

 口にしたとき「今日の気温は帆立が甘く感じる。さすがは林先生だ」と思った。そして、30年ほど前、薬膳料理研究家の友人がいたことを想い出した。「いた」というのはその後、彼女は海外に移住したため、それからお会いしていないからだが、それはともかく、食品には、の「四氣」(または、を入れて「五性」ということもある)があることをその友人から教わった。

 たとえば、

 熱=山椒、胡椒、唐辛子など、

 温=紫蘇、南瓜、韮、葱、生姜、大蒜など、

 涼=茄子、ほうれん草、白菜、セロリ、大根など、

 寒=トマト、胡瓜、茗荷、筍、蓮根など、

という具合である。

 しかしながら、彼女のような専門家なら四氣別食品群を覚えていられようが、我々、イヤ特に暗記力のない私には、身辺に山のようにある食品を分類して記憶することは無理がある。せいぜい、食べ物料理の温度気温の関係は大事だなと思ったていどだった。しかしそのお蔭で、お蕎麦を頂くときも、この感覚的理論で味わうようになった。

 さて、今日のメインディシュは二品。先ずは文字通り春の魚の《鰆のホイル焼》― 鰆は醤油とお酒で味付、茗荷竹の葉で巻いてある。
 江戸東京野菜研究家の大竹道茂先生は、「茗荷竹は通常市場へ出荷される場合、葉が切落とされていているので、一般に茗荷竹としては手元に届かない。しかし、今日食材を提供されている井之口さんは、切ってしまって花茗荷だけにするとそこから痛むからと、収穫したままのこ茗荷竹で出荷する。そこが偉い」とおっしゃる。
 グー先生も、柔らかそうな葉を見て「これは使える」と鰆に巻いた。その淡い緑色がまた春を感じさせてくれる。

花茗荷 ☆ ほし絵】

茗荷竹の葉】 

 《早稲田茗荷竹の春巻 豚のもも肉と肋肉で茗荷竹を巻いて、春巻の皮で包んである。これはパンチがある。
 次はお待ちかねの《早稲田茗荷竹と江戸前焼穴子の、かけ蕎麦》― 蕎麦汁は何と塩だけ、塩汁ゆえに焼穴子が蕎麦より前に出てこないし、スライスした茗荷竹の風味が生かされている。そしてこの蕎麦汁の温度がまた今日の気温にピッタリだ。感動する名作の一つだ。

 〆は甘味。《早稲田茗荷竹包大福》― 小ぶりの大福が優しくて柔らかい。

 大福餅の発祥の地は、小石川箪笥町に住むタヨが1771年ごろに考案したと伝えられる。茗荷谷駅のすぐ近くだ。茗荷谷と茗荷は関係なさそうだが、「グー先生の《茗荷竹包大福》は小石川の名物になりそうだ」と思いながら楽しく頂いた。

 日本列島には必ず四季が訪れる。しかもその変わり目には微妙な「はしり」と「なごり」がアレグロアダージョで奏でられる♪   だからこそ料理には、四氣(五性)の感性が大切だ。

 

参考:料理の写真については大竹道茂先生のブログ3/22の頁を → http://edoyasai.sblo.jp/  、ほしひかる編『文京のお菓子』、 

林幸子お料理シリーズ(232四氣の料理、216江戸蕎麦料理-秋の章、213 知的料理術、206 美味しい勉強会、205 江戸蕎麦料理-夏の章、190 江戸蕎麦料理-春の章、176 江戸蕎麦料理-冬の章)、

 〔エツセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕