第605話 北京・貴州紀行 10

     

~蕎麦とラーメンの親子関係~

 縁あって、跡見学園女子大学のAゼミで「日本の蕎麦は世界一」という話をすることがあった。なかには「ゆで太郎」でアルバイトをしたという人もいらっしゃったためか、あんがい皆さんに蕎麦について興味をもっていただいた。
話の後で、先生と数人の学生さんと学生食堂でお昼を共にした。
そのとき、卒論にラーメンのことを書いているという女子大生から「ラーメンは関心ありますか?」と尋ねられた。
もちろん関心はある。「蕎麦とラーメンは親子のようなものと思っている」と申上げて『蔭凉軒日禄』という史料の1488年に「銍帯麺」という鹹水を使った麺のことが記載されていることなどをお話し、後日メールで多少補足したりした。
この「銍帯麺」を世に紹介したのは、おそらく伊藤汎という麺類史研究家が初めて(1987年『つるつる物語』)だと思う。その後、奥村彪生先生が試作(1998年『進化する麺文化』)して、どういう灰汁を使ったかを検証している。
こうした情報が飛び交うと、ややもすれば一般の人は「銍帯麺はラーメンの祖では?」と騒ぎがちだろうが、岡田哲という人は「鹹水を使った中華麺は日本人の嗜好には合わなかった」と一回だけの歴史登場の物を切り捨てている(2002年『ラーメンの誕生』)。
岡田氏はさらに続ける。「ソーメン・饂飩・蕎麦と中国の麺を導入した日本なのに、さらに明治になってドッと洋食など海外の食べ物が流入してきたというのに、日本人は中国の鹹水麺には見向きもしなかった。それが、戦後になって爆発的にラーメンに飛びついたのはなぜか? 何が原因か?」と。
答を先に言えば、「日本のラーメンは日本の蕎麦とそっくりだから受け入れられたのだ」という。
この点は、われわれ江戸ソバリエにはよく理解できる。
テレビやラーメン本を見れば「コシがあって・・・、うまい」と盛んに言っている。この腰こそ日本蕎麦の大事なポイントである。さらには「スープはコクがあって旨味たっぷり」と絶賛している。その酷も旨味も、蕎麦つゆのポイントである。
またまた、誰でも知っている有名なラーメン店に入ったところ「ざるそば」「つけ麺」とメニューに書いてある。まるで「ここは蕎麦屋か」と勘違いするほどである。隣の客が食べているラーメンには海苔や鳴門が入っている。まさに《かけ蕎麦》の姿である。
こうした類似点を岡田も詳しく述べているが、私の考えを加えると次のようなことだろう。
*中国の麺は具で食べさせる‘料理’であるが、日本の蕎麦は鎌倉室町時代に中国から伝わってきた‘点心’(軽い食事)から始まる。
それゆえに、麺そのものの美味しさを求めるようになり、物理的美味といわれる腰のある麺を良しとし、茹で方に細かい心遣いするようになった。
*中国もヨーロッバも出汁も汁も‘一緒に’作る。
*日本の汁は出汁と返しを‘別々に’作る。
*日本の、澄み切った汁の化学的美味は直接舌に感じられる。
*このようにして作られた日本独特の汁は伸びがあるので、薄められても旨味が失われない。
以上のように、日本のラーメンとは、日本蕎麦における茹で方とつゆ作りのコツを、親子のようにDNAを受け継いだものであり、中国の鹹水麺とは別物である。かくて、日本独自の蕎麦に倣った日本のラーメンは爆発的に受けたというのである。

ところで、第二回北京フォーラムにおいて、私たちは「出汁と旨味」についての講演をした。それは植物としての蕎麦は中国が起原地で、かつ麺の作り方は中国に倣っても、つゆは日本人の舌=味覚に合うように開発した日本独自の麺であることを言いたかったからである。

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北京フォーラムの後ではあったが、跡見学園女子大での講演が縁となり、改めて日本独自の麺について確認する機会を得られたことを幸いに思う次第である。

〔文 ☆ 江戸ソバリエ北京プロジェクト ほしひかる