第631話 未 来 Ⅰ

      2020/05/27  

命の産業

現在、世界中が未知の感染症「COVID19」禍にある。
そもそも、われわれ近現代の人間は、産業革命(蒸気機関・電化製品)・IT革命によって繁栄してきた。近い将来にはAI・ロボット・バイオなどが融合した夢の第四次産業革命の姿も見えている。
だが同時に、近年になってこれまでの産業革命の負の側面が露呈し始めた。たとえば環境問題(プラスティク汚染)・自然災害(集中豪雨)・人間のメンタル(イジメ・DV)などである。
そこへ、この度の「COVID19」の急襲である。死者は現在世界中で約21万人、超々悪魔級である。
「COVID19」の原因や正体はまだ明確ではないが、これまでの自然破壊によって野性動物と人間の棲み分けが崩れ、野性動物に棲むウイルスが人間界に侵入したと言われており、またそれが人間が進めてきたグローバル化によって世界中へとアッという間に拡散したのだという(社会学者:大澤真幸)。
現代のグローバル化は、米欧がコストダウンのために生産拠点を中国に置いたところから始まる。日本もまたそれを真似た。
戦後日本は、アメリカの圧倒的な影響下で復興したため、大事なことはアメリカに任せ、日本はアメリカに従うという依存精神を身に付けた。
そのため、当時の某経済紙はとくにアメリカのやり方を新しいビジネスモデルとして賞賛し、実行しない会社を「遅れている」と書き立てた。私はその記事をまだ記憶しているが、かくて米欧日は中国を世界の工場とし、かの国を経済大国へ押し上げた。
振り返ると、この構図は過去にもあった。西欧列強の植民地政策、ならびにそれを真似た維新政府の欧化政策である。そのときも日本は「遅れている」との劣等感を持って突き進み、敗戦まで止まることはなかった。

そんなところに、この度のような感染症問題が襲来した。そもそも重い疾病というものは、基本的には薬剤投与か、手術をしないと治癒しない。とくに感染症は薬剤がなければお手上げである。たとえば「COVID19」がそうであるように、治療薬がないときは、ただひたすら「移らない移さない」の我慢だけである。
そのため対策としては、外出禁止しかない。それをしなければクラスター、やがてはパンデミックの恐れが出る。だからロックダウンや監視システムがとられることになる。そうしたコントロールをしなければ、国家は崩壊して暗黒時代に入るからである。暗黒とは政治・経済・医療・人間性など全てが崩壊することである。
しかし、このコントロールというのは確かなリーダーシップがなければ、道を間違える。たとえばポピュリズムや民族主義の台頭を許し、ひいては民主主義や人間の権利などが危機に瀕する。とくに心配されているのが新興国であるが、それについてここでは述べるのを控える。

日本・欧州などの先進国はそこまでには至らないであろう。
ただ、「COVID19」後は、元の社会に戻ることはない。マスク使用の癖、人間どうしの距離感、監視システム、国交遮断などは緊急処置にもかかわらず、終息後も残るだろう。国際政治学者イアン・ブレマーはサプライ・チェーンは国内路線に移行するだろうと言っている。また経済不況、雇用悪化、モラルの低下などは避けられず、ほとんどの国が行き詰まりを見せるだろう。

そこで、資本主義経済を見直さなければならないということになる。
考え方として、先ずは「負の遺産の直視である」。そうしなければ前進はない
こう言うと「マイナス思考」とか、「後向きだ」と言う人がいるが、それは間違っている。
かつて、われわれは公害と向き合ったから公害がなくなった。しかし自動車事故などは解決を避けてきた。ほとんどが「運転者の不注意」という個人の責任で片づけられ、最近の高齢者事故もアクセルとブレーキの踏み間違いとやはり個人の責任で片づけられる。「負の遺産と真に向き合いないから前進しない」という証である。
「じゃあ、どう向き合えばいいか?」
前回も引用したが、プラグマティズムの思想家ジョン・デューイは「行き詰まりは、目的より手段を優先させるところからくる」と言った。
先に交通事故の話が出たから、それでたとえると「命を守りましょう」が目的、「信号を守りましょう」は手段である。
しかし現実は「信号を守りましょう」という手段の方が前面に出ている。だから事故現場では、車と人、どちらが信号を守っていたかの言い争いが駆け付けたお巡りさんまでが参戦して行われている。運転手は歩行者の命を守る運転をしていたか?なんて最も大事なことはそっちのけである。
産業も同じである。目的は人間の幸せ、その手段が産業である。
しかるに、社会人は産業界に自らの身を呈し、かれらはその領域を守りまた発展させようとする。また政治もそのためになされている。
先述の、解決した公害と解決されない交通事故の差を見れば、前者は地域の人々が共に解決行動を起こし、人間の命が大切であることを訴求した。対して後者は事故はたいがいが個々の問題であり、共に解決へ向かうことは困難であった。ゆえに産業が優先されたままである。
こうした方向が人間尊重主義である。それを経済学者で思想家のジャック・アタリはを言葉を換えて「利他主義」と言っているが、わが国では幸田露伴が「分福=福を分けてあげる」と言ったことと同じだろう。
また新実存主義者のマルクス・ガブリエルが唱えている「倫理資本主義」も、生命万歳という考え方では同様だろう。つまり「これからの企業は倫理の専門家を重役にしなさい」と言っている。発想はマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」からだろう。
またまたドイツは再公有化政策を取り始めている。かつての戦争の体験から、国も国民も誤って、ポピュリズム・民族主義・独裁国家の道を進むことがあることを知った。だから反省してそのどちらでもない市営や協同組合式による生産の民主化を探ろうとしている。
こうした動きから産業の再編成的捉え方をしたのが、先のジャック・アタリである。彼は「命の産業」という言い方をしていた。とくに良質の食・水・医療・教育・文化・住宅・情報・IT産業などが重要であるという。彼は2009年に今日の感染症によるパンデミックが起こることを予告していただけに言葉は重い。
われわれの目的は命の尊重、そのために産業がある。となる日の到来を願いたいものである。

(未完)

〔文・絵 ☆ エッセイスト ほしひかる