第649話 「武器としての『資本論』」読-Ⅰ

     

~ 新自由主義から倫理資本主義へ ~

 「小松庵」の小松社長に、白井聡著の「武器としての『資本論』」を読むように勧められた。本屋に並んでいたから題名だけは目に映っていたが、『資本論』というと難しそうなので手に取ったことはなかった。しかし、社長が言うには「若い人にもなかなかの論客がいる」ということと、二度もすすめられたので、帰りに本屋に寄って購入した。

表紙を開くと、著者は1977年生まれとある。うちの息子・娘より若い。小松社長は、日ごろから社員教育に熱心で、趣味のテニスの方からも「なぜ錦織圭が頭角を現すことができたか」をよく語っておられた。それでも頁をめくるまで『資本論』は難しいだろうとまだ思っていた。

ところが、意外や意外、読みやすいし、面白い。30分ぐらいで読み終わって、誰かに推薦したくなるほどだった。特に、新自由主義の解説は現代の問題点を説き明かしてくれるようなものだった。

☆新自由主義

よく、機械化とか、民営化とか、外注化とかいうと、何の疑問もなく、当然正しいことだと思われている。この傾向に対し、果たしてそのことが人間を幸せにしてくれるだろうかと前々から疑問をもっていたが、著者白井の説明を読むとやっぱりそうかと納得するところがあった。

先ず、小生の個人的な観察体験だが・・・、

 ①最近、ガードマンが駅のホームに立っている。工事中? そうではない。電車が入って来ると、彼らは駅員と同じ業務をやっている。たまたまだったが、「〇〇駅へ行くにはどこで乗り越えたらいいですか?」と訊いてみることがあったので尋ねてみたが、答えられない。「自分たちは、時間通りに、安全に電車の着発させることだけが仕事だ」と言う。彼らは駅員みたいな業務はするけど、駅員ではなかった。

 ②某駅構内のトイレの前を通ろうとしたときだった。いきなりサイレンが鳴りだした。それは皆が驚愕するような大きな音だった。同時に機械音で「トラブルが発生しました。近くの駅員までお知らせください」とアナウンスがいつまでも続いた。

誰かがトイレ内に入って確かめようとしたが、最悪の事態、つまり爆発物の可能性があるかもしれないと思って、私はその人を止めた。誰かが「駅の事務室も鳴ってるんじゃないか」と言うが、誰も来ない。かなりの時間鳴り続け、人は増える一方、やむなく誰かが事務室へ走って行ったが、その駅は広いから大変だ。

そのうち駅員がやって来て、トイレに異物が入っていたため水があふれていることが判明。駅員は「今、業者をよびますから」と説明したが、人々はなぜ自分たちがこんなに心配して対応しなければならないのかと不満だったのだろう「業者が来るまでて言ってないで、今あんたがさっさと自分でそれを掃除しなさいよ。そのくらいできるでしょう」と怒りの声を発していた。彼らは駅員であって、便所掃除の担当ではなかった。

③図書館に行くと、係員が本の貸し借り業務をコンビニのような方法でやっている。ただ本の質問をするとたいてい回答できない。彼らは外注の非正規職員だからだ。連絡がいって、正規の図書館員が上の階から降りてくる。それを非正規さんはわざわざ迎えて頭を下げ、「こちらのお客様がお聞きになりたいそうです」と説明。まあ何とか解決できるが、時間がかかる。あるとき、上の階の広い事務室に入ったら、正規さんたちが各自1個の机でゆったりと仕事をされていた。下の階の非正規さんは狭い部屋に一つだけのテーブルを10人で使っていた。ここでは正規さんと非正規さんの身分制度が見られた。

④ATMの最初のころ、銀行員がしきりにATMの方が便利ですと客にすすめていた。しばらくするとその銀行員たちの姿は消えた。会社のために一生懸命説明したのに、ご自分がリストラになったようだ。

⑤ある蕎麦の会に、経済新聞の元記者さんがおられるが、その方は「在職のころ一生懸命にリストラの記事を書いていたら、自分がリストラされました」と苦笑いされていた。

⑥テレビのCMは人材派遣ばかりだ。なかに即戦力を主張するものもある。しかし実態はそんなことはありえない。だから人材派遣のCMは誇大広告ではないかと思うが、今は誇大広告という言葉は死語になっている。

⑦ドラマ「ハケンの品格」はそんな風潮を皮肉ったドラマだ。脚本家の中園ミホさんは占い師でもあるというが、さすがによく見通しておられると思う。

とにかく、このような些細なエピソードにも、外注化、民営化、機械化の欠点が隠れていると思う。それでも、たいていの人たちは外注化、民営化、機械化は社会のために役立っていると信じて疑わない。でも、先ほどの現場では、客たちはオロオロしたり、駅員は客に怒鳴られたりで、皆が不満をいだき、また記者さんや銀行員さんは単なるサラリーマンでしかないのに、まるで自分が会社そのものであるかのように思い込んで仕事をした結果、自らがリストラされた。いったい誰が得しているのだろうか。

その点を著者は分かり易く説明している。「機械化は人を楽にしてくれない。言い換えれば資本の増殖でしかない、とすでにマルクスが言っている」と。なのに、なぜ人々は外注化、民営化、機械化が正しいと思ってしまうのかということも著者は「包摂」という言葉で説明している。簡単に言うと「取り込まれている」というわけであるが、すなわちそれが新自由主義者が説く「効率こそ善」に立つ「小さな組織」は正しく、そのために外注化とか、民営化とか、機械化が行われている。と著者は説明している。

私流に理解すれば、吉本隆明の共同幻想論ではないが、われわれは会社という共同幻想に尽くしている。つまり会社が儲かれば自分たちの給料も上がり幸せになれるという集団幻想に巻き込まれている。だが、そうはならずに会社という幻想的組織だけが黒字が膨らませるという化け物のようなシステム、これが新自由主義だというわけだ。。

かように、給料だけでつながっている会社は危うい。でも昔はそうではなかった。終身雇用、年功序列、入社式、同期生・・・、江戸時代からの武家奉公や商人の暖簾制度のノウハウを会社運営に活かした日本式経営があった。しかしそれでJAPAN as No.1になったにもかかわらず、国民は一丸となって自ら日本式経営は古いとして、捨て去った。それからリストラ、ハケン、非正規社員のシステムが正しいと大合唱、会社はさらに幻想となった。そして将来は在宅勤務(テレワーク)、つまり会社に来なくてよいという再びの大合唱が起ころうとしている。さらにさらに会社は幻想となっていくだろう。

☆倫理資本主義

それでも株式会社はそのような選択も許されるだろう。

しかし、新自由主義は教育・福祉・医療までも侵入してきて、効率経営が正しいと言われるようになった。そのために利益の出ない病棟は閉鎖され、資金が必要な新薬開発はなおざなりにされ、今コロナ禍ではダメージとなった。今や「民間」という言葉が正義となって、社会から「公共」という概念は押しやられているのである。だから吉本は、幻想という概念を創り上げ、われわれにちょっと停止して考え直しなさいと警告した。

ところで、世間ではなぜ「武器としての『資本論』」がポストコロナ社会の手かかりとして読まれているかである。

そこで、この「談義」シリーズを振り返っていただきたい。利他主義や命の産業を説くジャック・アタリ(経済学者&思想家)、倫理資本主義を説くマルクス・カブリエル(新実存主義者)らの論に触れてきた。先のジャック・アタリもマルクス・カブリエルも、この白井聡(思想史家&政治学者)の主張も、根拠は総じてアダム・スミス、イマニュエル・カント、マルクスらの古典的・倫理的経済であることに気づく。

したがって、2020年、ポストコロナの新しい波は〝倫理〟による再生ではないかというのが、読後感である。14世紀のペスト後に〝ルネッサンス〟(再生、人間性解放)という新しい波が起きたように。

では、日常に〝倫理〟を持ち込むにはどうしたらよいかは、また別の機会に!

〔文 ☆ エッセイスト ほしひかる

絵:「竹やぶ」社長の「赤富士」