第243話 蕎聖・友蕎子の石臼

      2016/07/28  

友蕎子の石臼☆写真:笠川氏】

井伏鱒二に『石臼の話』という小説がある。
石臼の外側に、毛筆で梵語が縦に20行あまり書いてあるから、中国経由で伝来した石臼だろうといった話だ。
しかし、私は梵語が書いてある石臼など見たことがない。おそらく、石臼が中国から伝わってきたことを暗示した井伏流の小説であろう。
ちなみに、石臼には「搗臼」と「碾臼」があるが、日本では「搗臼」のことを単に「」といい、「碾臼」のことを「石臼」と呼ぶことが多い。
このことから、日本には最初に搗臼が伝来し、次に碾臼が伝わったのであろうことが想像できる。
というのは、最初に入ってきたは搗臼は「臼」と言ったので、次に入ってきた碾臼を「石臼」と呼んで区別したのであろう。それに、今来の碾臼は石製であったが、古来の搗臼はそうではなかったかもしれない。ま、とにかく、ここでの石臼とは「碾臼」のことと思っていただきたい。

さて、その石臼に関して、ちょっと面白い話がある。
先日、江戸ソバリエ神奈川の会の笠川さんとお会いしたとき、「蕎麦研究家の高瀬礼文先生から頂いたものだけど、【友蕎子】と銘のある石臼を持っている」とおっしゃる。つまり一茶庵創立者の片倉友蕎子の石臼だ。
「へえ、井伏鱒二の小説のようだな」と思ったので、「写真を見せてください」とお願いしたところ、すぐに送っていただいた。
拝見すると、「李白一斗詩百篇 長安市上酒家眠 字彫 友蕎子」と彫ってあった。

漢詩は、杜甫の『飲中八仙歌』のうちの李白のことを謳ったものだ。
李白一斗詩百篇
長安市上酒家眠
天子呼來不上船
自稱臣是酒中仙
李白は一斗の酒を飲む間に百篇の詩を作り、長安市上の酒屋で眠る。天子からお呼びがかかってもすぐに行こうとはせず、自らを「酒中の仙なり」と称している、といった意味だろう。

『飲中八仙歌』は、中唐時代の8人の酒豪(賀知章汝陽王李璡左丞相李適之崔宗之蘇晋李白張旭焦遂)を謳った杜甫の詩だ。
いずれも、ただ豪快な飲みっぷりだけではなく、その才が人並み以上に優れた者ばかり。でなければ詩に謳われはしまい。

お孫さんに当たる片倉英統先生のお話によれば、友蕎子翁は漢詩に親しまれていたという。それを聞いて、まるで聖人どうしが互を呼び合うようだと思った。

そして、写真を見ながら石臼の回転を想像していると「杜甫⇒友蕎子⇒礼文先生⇒」の連環が浮き上がってくるのだった。

参考:「江戸ソバリエ神奈川の会」の笠川晢さんのお話、「横浜一茶庵」片倉英統先生のお話、井伏鱒二「石臼の話」(角川ランティエ叢書)、中国詩人選集『杜甫』(岩波書店)、

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる