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農業写真家 高橋淳子の世界
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

農業写真家 高橋淳子

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【2月号】
<その3 石田梅岩の商人哲学(2)>

石田梅岩が活躍した享保期(1716-1735)は、それまでの高度成長期の元禄期と違い、成熟期に入り、「享保の改革」といわれる構造改革が進められた時代である。
その頃、天下の豪商「淀屋」や「紀伊国屋文左衛門」、「奈良屋茂佐ヱ門」など、江戸初期の「にわか成金」が、相次いで破産したり、取り潰されたりしている。
三井や鴻池など名門商家の「家訓」が、家業の永続を願って作られてもいる。
まさに、新しい時代にふさわしい「商人の道」、「商人のあり方」が求められていたのである。
そのような時代状況の中で、商人の社会的役割や機能に積極的な意義を認めて、新しい価値体系の教化に努めたところに、石田梅岩の優れた革新性が見られると言えよう。
商人の利潤を否定して儲ける事を非難する儒教に対しては、「商人が利益をあげるのが悪いと云うなら、武士は俸禄なしで主君に忠義が尽くせるのか」と反論している。
また、梅岩は、士農工商の身分制度をそれぞれの現実的な役割機能として肯定すると共に、「人は一個の小天地なり」と人間の平等を主張する。
利潤の追求を当然とする一方で、勤勉や倹約、正直などの徳目を重視する梅岩の思想は、享保期の新興商人たちの心を捉え、彼らの商人としての生き方に確信を与えると共に、その精神的な支柱になっていくのである。
神道をベ―スに儒教・仏教を加味した三教一致を説く、梅岩手作りの町人哲学は、弟子の手島堵庵により「石門心学」と銘名され、中沢道二、柴田鳩翁たち門人の手で「心学講舎」として、京都、大坂、江戸に設けられ、やがて全国に広がって、江戸時代の市民思想の本流となっていく。


「梅岩の宇宙観と個人倫理」
石田梅岩の基本発想は、「宇宙の秩序」と「人間社会の秩序」を同一と捉え、従って人間の生存の基礎は宇宙の秩序にあると考える。
人間の「内心の秩序」が「宇宙の秩序」と一致した状態を「善」と規定し、それが一致しない状態を「病い」と規定する。
この「病い」を治癒する道が「学問」であり、実践する「徳目=薬」が「倹約」なのである。
人間は、「宇宙の秩序=絶対善」に即応して生きていけば、それがそのまま人間の秩序となり、社会の秩序となり、繁栄と幸福がもたらされると云うのである。


梅岩の考える個人倫理を要約すると、次のようになろう。
1・人間は、「宇宙の秩序」に従っている限り存在し得るから、この宇宙の秩序に従うことが「善」である。
2・その象徴は「赤児」であり、「赤児」は「聖」であり、人間は本質的にこの「聖」でなければならない。
3・「本心」と「非本心」に分裂している人間が、無意識に「本心」に返る時、これを「発明」と云う。
4・「発明」の最大の障害は「我欲」であり、「倹約」の実践により「我欲」を去ることが第一である。


「鈴木生三と石田梅岩の共通基盤」
1・二人とも当時の教育を受けた宗教人でも学者でもない無学歴の人物である。
2・正三は43歳で出家して思想家としての道を歩み始める。
 ・梅岩が公開講義を始めたのが45歳であり。共に遅咲きの思想家である。
3・共に実務家、普通の社会人である。
 ・生三は戦国武士、行政官僚。
 ・梅岩は商人、手代、番頭を勤めた平凡なサラリ―マン。
4・正三は主として仏教を基本に我法を立てる。
 ・梅岩は主として儒教、仏教、神道を基礎に心学を立てる。
5・正三は対話を通じて自己の思想を伝達しようとした。
 ・梅岩は講席を開いて普通の人に誰にでも分かる言葉で講義した。
  町人思想がやがて武士にも広がり日本に於ける市民思想の萌芽となっていく。
6・共に低成長と停滞の時代に生きた。
 ・正三の時代は江戸初期、戦国の終焉と文治体制への移行期に当たり、士農工商の身分固定化等、
  不安定閉塞期。いわゆる「足軽から太閤への夢が消えた時代」である。
 ・梅岩の時代は江戸中期、貨幣経済の時代となり町人階級が勃興し、幕府財政の窮乏化による
  享保の改革期にあたり、緊縮財政の時代であり、商業不振の時代でもある。
  いわゆる「無一文から豪商への夢が消えた時代」である。


このような鈴木正三と石田梅岩に共通する世界観は、今日も尚、日本人の世界観の底流に綿々と受け継がれており、我々の思想と行動を規定する最も重要な要素を成していることは否定できない。
にも拘らず、明治以来の日本、特に戦後の日本は、これを軽視してきたと云っても過言ではないのである。


正三と梅岩を比較すれば、教育者としては梅岩がはるかに優れていたと云えよう。
正三は元武士であり、壮年にして僧侶となり、仏教による実践的な職業倫理を説いた先駆者ではあるが、当然ながら商売の実務に詳しかったわけではない。
梅岩は、永年京都の奉公した元々の商人であり、生涯商人であり、商業以外の経験は皆無であった。
商人とは元来、「経済的合理性に基付いて顧客を説得し、それにより得られる信用だけを手段とする職業」である。
梅岩は、この商人の生き方が完全に身に付いた人であり、その事が梅岩を理想的な教育者としていく。
やがて、石門心学一門として隆盛を極め、江戸、大阪から日本全国に広がって江戸時代の市民思想の本流となり、明治維新以降、世界史上類をみない日本の近代化を成功させていく潜在的な原動力となった理由と云える。
マックス・ウエバ―はその著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、「個人の欲望を押さえる倫理が近代資本主義を根底で支えている」と指摘しているが、梅岩が主張したのも本質的に同じであることは、西欧と日本の資本主義の歴史を見るとき、極めて興味深いのである。


(以下次月)

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