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鈴木貞夫のインターネット商人元気塾
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

農業写真家 高橋淳子

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【3月号】
<その4 石田梅岩の商人哲学(3)>

江戸開府100年の間に、武士でも、農民でも、職人でもない、「商い」を独自の職分とする、商人という集団が、社会全体に大きな影響を持つようになっていく。

江戸時代の日本は、当時の世界で、最も豊かな社会の一つを実現していた。

その豊かな社会を作り出した担い手こそ、強烈なベンチャ―精神に富んだ商人たちであった。

その間、戦国時代以来、武家社会に守られてきた「武士の道」が、何時の間にか形骸化して、むしろ「商人の道」として商人世界に、実質的に引き継がれていく事になる。


元禄14年に起った播州赤穂浪士の「忠臣蔵」は、「武士の道」と「商人の道」が、ちょうど入れ替わる転換期を象徴的する事件として見ることが出来る。

武士達が、現代で言う官僚化、サラリ―マン化していく一方で、江戸期の商人たちは、様々なチャレンジと試行錯誤の中から、経済社会を動かすル―ルやシステムを自分達で次々と考え出していく。
世界初の「米相場」・先物取引所を開設運営し、今の銀行に当たる両替商金融を始め、都市開発や新田開発を行い、農機具などの技術革新による生産性を向上させ、更に海運や水運などの水上交通を整備していく事等で、当時の世界でも最も進んだ商品経済社会を実現した。

商人たちは、斬新な商品取引や経営手法を生み出すと共に、北前船・菱垣回船・樽回船など日本列島を巡る沿岸航路の海運を開発して、「江戸」という人口の半分を武士が占める政治都市・一大消費都市と、伝統工芸商業都市「京都」、そして全国経済の主役、唯一の『中央市場』の役割を果たす「大阪」とを、効率的且つ機能的に繋ぐ、世界でも有数の先進的な全国経済のネットワ―クを作り上げた。

しかも、幕府の鎖国政策の下で、勘合貿易や南蛮貿易、御朱印船の時代には、海外からの輸入品であった木綿・生糸・砂糖・茶・陶磁器・薬種などの国際商品を、外国の力を借りず、全て自分たちの独自の智慧と力で、国内自給自足生産することに成功した。

これらの生産過程を基本的に支えたのは、全て農業である。

それら江戸期の商人たちの活動を、思想学問の上で支え導いたのが、極めて行動力に富む、独創性あふれる多くの町人学者達である。次号以降で紹介していきたいと思う。 中でも石田梅岩は、自らも商人として長年の実践を通じて得た独自の商人思想,経済思想観を生み出し、世に役立てようと努力したのである。

梅岩を祖とする石門心学の流れは、神・儒・仏・道教など日本の伝統的な宗教と道徳倫理を悉く混合し、それに時代に適した技術論を加えながら、人が生きるための実践規範として、商人が「家を守り、自分を守ること」と、「利益を得て世間に貢献する事」とを両立させる現実的な道程、即ち「経済論理と倫理の結合」を、庶民に分かり易い思想体系として練り上げ、教えたから、幕末から明治維新の後までも日本中に、しかも町人・武士を問わず広く浸透していく。

梅岩は、長い商人としての奉公の後、40歳にして「商人の道」を悟り、45歳にして講釈を始めたという。

講釈の中味は、唯、「倹約」・「正直」・「堪忍」など商人の処世術に止まらず、広く深く商人道を人間性の問題として捉え、それが同時に天地自然の万物を貫く道、人に本性の心であることを説く心学になっていく。

繰り返すが、「倹約」「正直」「堪忍」は、梅岩の教えの三本柱である。

商人の道を天下のためと断言する梅岩は、その商人のために「倹約」と「正直」と「堪忍」を説き、この三つは、単に商人の心掛けとかモラルというよりも、「商人自身の身を守り、商人の世の中を維持・発展させていく」ために不可欠な実践綱領であったのである。

武士・農民・工人にも通用する教えであり、そこに心学運動として広まる理由があった。梅岩の弟子柴田鳩翁の時代には、全国65藩の大名や家老が、「心学」を学び始めたという。

京都の商家の番頭であった石田梅岩が始めた商人の哲学が、武士階級の上層部まで教化して行くこととなる。

源了園著「徳川思想史」には、「梅岩により始まる心学運動に於いて最も重要な意味を持つものは、町人により担われた思想が彼ら自身によって形成され、自覚された町人のための生活哲学であったということであり、しかもその町人というのは中小企業商人であったことである」と書かれている。

又、丸山真男は、「梅岩の心学は、投機的な政治資本主義の性格が濃い江戸町人の間ではなく、京、大坂の商人と、吉宗の倹約令に疲れ果てた民衆の深い内的要求の応えたからこそ広まった」と述べている。

ドイツの哲学者カントは、石田梅岩とほぼ同時代に生きたが、有名なその著『永久平和論』の中で、「人間は狩猟・漁労・遊牧の生活から、農業の生活に進んだが,塩と鉄が発見されると、これがさまざまな民族の間で、遠く又広く求められる最初の商品となり、この通商によって、彼らは初めて、交際し、強調して、平和な関係を保つようになった。 商業精神と戦争は両立しない。
そして遅かれ早かれ、あらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である。何故なら、国家権力のもつあらゆる力の中で、結局、最も信じられるのは財力であろうから・・・」と書いている。

このことは、「常に『万民』と『天命』を中心として『商いは天下泰平の道』とした梅岩の商人哲学」が、世界に共通する考えであり、現代にも通じる事をうかがわせるのである。


江戸時代は鎖国という言葉から閉鎖的な停滞の時代のイメ―ジが強いのだが、実態は大いに違うと思う。

江戸の経済社会は活力に満ちており、商人が主役になって生産から流通、販売、金融に至るあらゆる分野で、当時の世界の中でも独創的で先進的な経済社会を築いている。
徳川幕府は封建制度ではあるが、一方的な独裁的中央集権ではなく、分権国家の集合体であった。
政治は武士が握っているが、経済は商人主導の自主的な民間活力に任せたと言える。
江戸時代は停滞でも、後進でもなく、思想・学問・芸術・文化・都市建設などに商人の知恵が遺憾なく発揮された民間活力の時代であった。
その水面下に、全国各地で商人道の普及に努力した、町人学者達の学問思想があつたのである。


現在の日本は豊かな飽食と消費の一方で、地球環境不安、地域紛争不安、格差社会不安、老後不安、健康不安、教育不安、子育て不安など、止まる所を知らない不安の時代が進行している。

そして、売り手にも、買い手にも、「商人の道」「商人道」が地に落ちた感があるのを否定できない。

江戸時代を通じて、封建制度と鎖国体制という時代制約の中で、明治維新以降の世界でも稀な日本の近代化の原動力を築いていった町人学者達の考え方と行動を知ることは、極めて有益であると確信する。

今日の社会的行き詰まり感を打破し、新しい活力を生み出す源泉が、その中に秘められているのだ。

真の革命・構造改革は、古き良き価値を、新しい時代状況の中に、再生させることではあるまいか。


次号から鈴木貞夫の「コンビニ創業戦記」を紹介します。

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