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鈴木貞夫のインターネット商人元気塾
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

鈴木貞夫

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【5月号】


<コンビニ創業戦記>第24回
・・ロ―ソンのル―ツ「サンチェ―ン創業物語」・・


<サンチエ―ン・ダイエ―グル―プ時代(その6)>
――シテイ・コンビニエンスへの挑戦(4)――


  忘れもしない昭和57年(1982)10月、品川パシフィツクホテルで新本社ビル移転の祝賀を兼ねた サンチェ―ン共栄会コンベンションを開催した。

  その日、祝辞を述べに出席されていた中内ダイエ―社長が、控え室にいた私と松岡さん、都築さんの三人の前で、「ロ―ソンも、ぼやぼやしてたらサンチェ―ンに合併させるぞ」と、 冗談ともなく云われたことがある。

  さすがに、都築さんが「それだけは勘弁して下さい。必ずご期待に応えますから」と即座に反応した。

  中内さんからすれば、「素人集団のサンチェ―ンがここまでやっているのに、直系のロ―ソンは何をしているのか」と云う想いがあり、ロ―ソンの競争心に火を付けようとしたのだと思う。

  今考えると、このことが契機となって、ダイエ―・ロ―ソン社内に、サンチェ―ンに対する危機意識と競争心が特に強くなっていったように感じる。


先ずは、何と云っても店舗数で先行しようと、ロ―ソン店の積極的拡大戦略が採られていく。

  その際、活用したのが、それまで主流であった16時間営業を原則24時間に切り換えること に加えて、「地域子会社方式による直営店舗出店」というサンチェ―ン方式の採用である。 直営店運営子会社・西日本ロ―ソン(株)が昭和57年(1982)1月、更に同年7月には 東日本ロ―ソンが設立され、以後、新幹線作戦と称して、がむしゃらな直営店出店が進められていく。 このことが、改定された新フランチャイズ契約に基付く新FC店の開発強化と合わせて、 急速にロ―ソン店舗数を増加させることになった。 地域戦略に於いても、名古屋・新潟・福岡・長崎・仙台・札幌・旭川・函館などでの サンチェ―ンの先行出店が、後のナショナルチェ―ン戦略の上で、地域拠点の形成の布石 として、大きく生きていくことになる。

  今から思うと、当時の直営店比率の高まりは、フランチャイズ・チェ―ン本部としての経営 非効率という多少の授業料を、暫くの間は支払う事になるのだが、店舗数拡大によって、 商流・物流の量的拡大と効率化、そして何よりも人材の育成が進むこととなり、ロ―ソンの経営 基盤強化に大きく繋がっていった。

  次いで、「サンチェ―ン・ファミリ―チェ―ン・システム」による社員独立制度をヒントに した「ロ―ソン社員運営委託制度」が、昭和58年(1983)7月から導入される。 これがやがて、現在のロ―ソンに繋がる発展の原動力となった「ロ―ソン・チャレンジ オ―ナ―・システム」へと、本格的に進化していくのである。

そのほか、商品開発面では、
ロ―ソンの側に、当時のダイエ―グル―プ商品力を背景とする一日の長があったことは否定できないが、サンチェ―ンにも、独自の手作りの良さと味わいがあったと思う。
・物流センタ―(グロサリ―、デイリ―の点別小分け・値付け作業などの実施)の稼動
・専用米飯向工場の開設・運営
・加盟店オ―ナ―及び店従業員、社員の教育センタ―の設置・運営等など

サンチェ―ンが非力な条件の中で、独力で先行投資し、挑戦した経験は、その後のロ―ソンの 戦略にも少なからぬ刺激を与え、有形無形の形で活かされることになった。

店舗運営面では、
・全店24時間化に伴なう人員不足をカバ―するためにシルバ―社員制度の導入
・値札付け作業を軽減する価格インプリント方式の採用
・商品ロスの削減対策など

情報システム面での
・お店に画面で運営デ―タを返す「2ウエイ方式」の実施
・「発注即仕入れ計上方式」の採用など

サンチェ―ンが、試行錯誤しながら、先行的に実験、導入した仕組みなども、後に平成元年(1989)3月に、両社が対等合併する時に大きく活きてくるのである。

私が「今日のロ―ソンの源流はサンチェ―ンにあり」、と称する由縁はここにある。 ロ―ソンが、長年の念願とした財務面でのダイエ―からの自立を果たしたのは、昭和61年(1986)前後の事である。 その頃、都築専務は、既に社名変更していた(株)ロ―ソン・ジャパン社長に、晴れて昇格した。

かくして、ダイエ―グル―プのコンビニ部門の戦略的統合=「サンチェ―ン・ロ―ソンの対等合併」の条件が、漸次整っていくことになる。 サンチェ―ン・ロ―ソンの業務提携から、およそ8年が経過していた。 この間両社は、紆余曲折を伴なう相互の競争と協調の中で、お互いの長所を取り入れ合いながら、ダイエ―グル―プ・コンビニエンス企業としての経営基盤強化とチェ―ン・イメ―ジの向上に、懸命に努力したのである。 (以下次号)

  
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