第713話 謎の日新舎友蕎子

      2021/05/30  

 蕎麦を勉強している人の必読書とされている本に日新舎友蕎子の『蕎麦全書』(1751年刊)というのがある。
 「名は体を表す」というが、『蕎麦全書』とは、蕎麦の教科書のような内容の書らしく実に題名がいい。これ以上の題はないだろう。
  それにこれを書く場合の筆名もいい。「友蕎子」、これ以上の蕎麦好きらしさを表現する名前はない。後世、「蕎聖」と呼ばれた片倉康雄が倣って「友蕎子」と名乗ったぐらいだ。また「日新」=日々新らしくするとは実に前向きである。
 ただ残念ながら、この日新舎友蕎子なる人物が何者なのかまったく分かっていない。他の史料にも出てこないし、『蕎麦全書』にも個人的なことはあまり書いていない。それでも、多少とも手掛かりらしきことがないでもない。それを列記してみて、彼の多少素性を探ってみたいのであるが、とくに私が問題にしたいのは、江戸の何処に住む人であつたかである。なぜなら、それが分かれば何となく人間像が描かれると思うからである。

この『全書』の特色の一つは江戸中期の江戸の蕎麦屋を掲載しているところである。うち「近辺の」蕎麦屋として、堀江町一丁目に吉川屋、同町に槌屋、小船町二丁目に大和屋、和泉町の楠屋、堺町の福山があったと紹介している。
 つまり堀江町一丁目、小船町二丁目、和泉町、堺町を「近辺」だと言っている。現在でいえば堀江町一丁目・小船町二丁目⇒日本橋小舟町、和泉町・堺町⇒日本橋人形町であるが、人は自分の住まいを先に書くだろうから、日本橋人形町に近い日本橋小舟町に住んでいたと思われる。

また夜中に売り歩く蕎麦は「乞食蕎麦」というが、うちの近辺では「米番蕎麦」という。それは近くに米屋があって積んだ米俵を寝ずの番をする者が夜中に蕎麦を食べるからである、と書いている。 
  これは屋台蕎麦の紹介記事である。明治・大正になって広く知られるようになった「時そば」の影響から、「蕎麦は屋台から始まった」とか、「屋台蕎麦が江戸蕎麦の代表」みたいに思われているが、それはあくまでお笑いの世界であって、史実ではない。この『全書』でも「乞食蕎麦」と言っているように、他の史料でも屋台蕎麦とはとても蕎麦とはいえない代物をこっそり売り歩いたいたようなことを書いてある。ただそれでも庶民に人気があったのは寒い夜中“温かさ”に癒されたからである。 
   実は、謎解きの鍵は「米屋」であると思う。
 江戸時代、日本橋の「米河岸八町」と呼ばれていたのが、表河岸町、長屋町、七軒町(現:本船町)、上伊勢町、下伊勢町(現:伊勢町)、小網町、小舟町、堀江町である。一帯は米問屋が軒を並べて並べていて、元禄年間(1688~1704))でもその数は 140軒以上はあったという。当然、友蕎子が『全書』を上梓した1751年ならもっと軒を並べていたのであろうが、そんな小舟町(こぶなちょう)に友蕎子が住んでいたことが想像されるところである。

*幼年のころ、浅草華川戸に吉田屋という麺店あり。
 「昔」と書かないで「幼年のころ」としたのは、子供のころから蕎麦好きだったと言いたかったのだろうか。それから、普通は「花川戸」と書くのだが、ただ江戸時代の人は文字より発音が優先で、「花」と書いたり、「華」と書いたりすることはあった。が、それでも友蕎子が意識して「華川戸」と書いたのは、花川戸の華やかさを表現したかったのだろうかと想像すれば、彼に文学性があったのかもしれないと妄想したくなるところである。

*親友谷村氏、平岡氏、松崎氏、土田氏・・・。
 蕎麦好きの知人を何名か書いているが、それでも姓だけ表記して名前を記していない。そこが彼が個人的な話題を控えているところであるが、谷村氏だけは親友だと紹介してる。

*所用で信州諏訪あたりを通ったとき、その夜の宿屋で蕎麦湯との出会いがあった。
 「所用」という個人的な出来事を書いているにもかかわらず、何の用事か、「諏訪は通った」だけであり、何処へ行ったかも明かにしていない。
 ただし、この一文は蕎麦湯の初出として有名であり、江戸蕎麦の歴史から見ても、『全書』の価値を高めているところである。

 以上から、友蕎子という人は、子供のころから蕎麦が好きで、親友にも蕎麦好きがいて、所用で信州で行くことがあるような立場の小舟町の住人ということになる。

*深大寺蕎麦の事
 また、『全書』は江戸蕎麦のことを書いてあるのだが、ただこの書の特色は「深大寺蕎麦の事」で始まるといっても過言ではない。
 たとえば現代の話ではあるが、蕎麦史研究家の新島繁は江戸蕎麦について詳しく研究しているが、深大寺蕎麦すなわち寺方蕎麦には入り込んでいない。それなのに友蕎子は「江戸蕎麦の由来は寺方蕎麦にあり」といわんばかりである。
 まるで江戸ソバリエの先達のようであると思うが、この件についてはまたあらためて考えていきたいと思う。

追記
 先の拙著『新・みんなの蕎麦文化入門』では江戸の蕎麦切の初出である謎の常明寺は神田にあったと唱えたが、この度は謎の日新舎友蕎子は日本橋小舟町の人だったと想定してみた。

〔江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる〕