☆ ほし ひかる ☆ 佐賀県出身、中央大学卒、製薬会社に入社、営業、営業企画、広報業務、
ならびに関連会社の代表取締役などを務める。「荒神谷遺跡の謎を解く」「朔太郎と私」
などのエッセイ・コンクールに数多く入賞する。
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ほしひかる氏 | ||
【2月号】第32話 東京で初めて、赤い蕎麦の花が咲いた |
唐の詩人、白楽天(772~846)がこんな詩をうたっている。 村 夜 白楽天 霜草蒼蒼蟲切切 村南村北行人絶 独出門前望野田 月明蕎麦花雪如 村の夜 霜草蒼蒼として 蟲切切たり, 村南村北 行人絶ゆ。 独り前門に出でて 野田をのぞめば, 月明の蕎麥 花は雪の如し。 この詩は、母の死にともない、政府高官を辞して帰郷し、喪に服したときの作と伝えられているが、月夜の村で独り・・・・・・、という絵が蕎麦のもつ野趣性を見事に表しているため、蕎麦通の間では聖歌のように尊ばれている詩である。 かように、蕎麦の花は白いというのが一般的である。 ところが、蕎麦には赤い花もある。チベットに近い、ネパールのムクティナート村(標高3800㍍)が原産であるが、日本での育種に成功させたのは信州大学名誉教授の氏原暉男先生とタカノ㈱である。その赤い蕎麦は「高嶺ルビー」という名前で最近はよく知られている。私も種をいただいて、平成20年の秋に播いてみた。 赤い蕎麦の種を頂戴することになったきっかけは、10月に開催された「07めん産業展」の会場で氏原先生とお会いしたことだった。柴田書店のブースで先生のご著書『ソバを知り、ソバを生かす』を求めたとき、その本を編集されたNさんに、その場にいらっしゃった先生をあらためてご紹介いただいたのである。そのときも高嶺ルビーの話になり、天皇陛下も皇居で栽培されたことなど貴重なお話をうかがった。そして「東京ではまだ咲いてない。何処か播く所がありますか」ということになり、「心当たりがないでもないです」とご返事申し上げたものだった。ところが、それから先生はご病気になられ、「東京に赤い蕎麦を」という話は中断してしまった。 それが丁度一年経って、突然に氏原先生からお電話を頂戴した。「病の方も回復したので、もう一度東京で赤い蕎麦の種を播く所を検討してほしい」とのことだった。 早速、江戸ソバリエのKさんが親しくされている東京都夢の島熱帯植物館の館長にお願いしたところ、ご快諾していただいた。 夢の島熱帯植物館では、3年前から「常陸秋蕎麦」という蕎麦の種を播いて、脱穀、収穫作業をすすめ、その蕎麦打ちをKさんはじめ江戸ソバリエの皆さんがおやりになっていたのである。 すぐ氏原先生にその旨をご連絡したところ、タカノ㈱から夢の島熱帯植物館用に高嶺ルビー3㎏と、別途に2㎏を送っていただいた。熱帯植物館は広い。3㎏のほとんどを播かれたようである。別の2㎏は江戸ソバリエの仲間で小分けした。江戸ソバリエの皆さんは、畑やプランタン、鉢などに播かれて毎日観察され、そのお一人のTさんは栽培日記をブログに掲載された。また、ある人は一ヶ月ほどして咲いた赤い花を押し花にして栞にされたりして楽しんでおられた。そうした話題が仲間の間に波紋のよう広がり、それがまた楽しみとなった。 花というのは心を和ませてくれる平和の天使のようなものだと思った。 参考:氏原暉男 著『ソバを知り、ソバを生かす』(柴田書店)、 〔江戸ソバリエ認定委員・(社)日本蕎麦協会理事 ほしひかる〕
次回第33話は「香りを食べる」を予定しています。
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