1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、 1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、 1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。 1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身 |
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鈴木貞夫氏(すずきさだお) | ||
【8月号】 |
<コンビニ創業戦記>第27回
<サンチエ―ン・ダイエ―グル―プ時代(その9)> 「サンチェ―ンのメセナ活動(その3)」 サンチェ―ンの若者文化支援活動は、その後も、次のように続けられていく。 ・『サンチェーンミュージカル・中村雅俊「雪洲」』公演 昭和63年(1988)11月に、新宿コマ劇場で上演された「SESSUE―雪洲」は、中村雅俊が初めて取り組んだ、日米合作の本格的米国風ミュ―ジカルである。 しかも、このミュージカルは、全て英語で演じられ、出演者も主演者・中村雅俊と共演者・毬谷友子の二人以外は、本場ブロ―ドウエイからの外人キャストであった。 私が、このミュ―ジカルに冠協賛することに決めたのは、 都会的センスで、誰にも親しまれている中村雅俊のイメ―ジと、サンチェ―ンの「シテイ・コンビニエンス」のイメ―ジが一致していること、 また、日本人の国際化の先駆者であるハリウッド大スタ―・「早川雪洲」を取り上げたテ―マに、共感してのことであった。 新宿コマ劇場での「SESSUE」公演は、期間中、若い女性客で超満員となり、立ち見が出るほどの大人気を博したのである。 ・『東京キャンパス・サミット'88』開催 昭和63年(1988)11月、新宿のセンチュリ―・ハイアットホテルに於いて、 関東圏の主要大学の1000サークルのリーダ―を結集して、「東京キャンパス・サミット'88」を開催した。 この企画は、学生評論家として当時売り出し中であった西川りゅうじん氏の協力の下に、 東京都の後援を受けたパブリックな性格を持つものであった。 企画の趣旨は、サンチェ―ン主力顧客層の中核ともいうべき存在であり、同時に店頭最前線の主力戦力でもある大学生たちに対して、積極的な働きかけの機会を作るために、「学生サークルリ―ダ―を組織化したサークル・ネットワ―クを構築しよう」、というものであった。 大学生への「サンチェ―ン」イメ―ジの浸透を図ることで、ヘビーユーザー層を創造すると共に、サンチェ―ン独自の「ヤングマーケット・リサ―チ&従業員リクル―トシステム」として、運用したいという戦略的狙いも含まれていた。 当日は、学生の地域活動、サ―クル活動のあり方についてのシンポジュウムやパネル・デスカション、音楽ライブなどが、ネッワーキング・パーティ方式で展開された。 首都圏の学生相互間の熱い交流を深めることに、大きな手応えを感じ取ることが出来たのである。 「東京キャンパス・サミット'88」は、長期的な戦略として毎年 開催することを考えていたのであるが、「サンチェ―ン・ミュジック・バトルロイヤル=S・M・B」と同様に、 ロ―ソンとの合併の動きの中で、継続出来なくなってしまったのは痛恨の極みと云うべきであった。 ・『'87コスモポリタンXmas パーティ グルメ・イン・ザ・ワールド』開催 「東京キャンパス・サミット'88」に先立つ1年前、昭和62年(1987)12月、 サンチェーン『'87 コスモポリタン Xm as パーティ、グルメ・イン・ザ・ワールド』を、東京タワーホールにおいて開催した。 日本と外国の若者の国際交流イベントとして、各国の"美味しい料理" や"独特の味"を味わうと共に、当時サンチェーンが独創的に開発した 「おにぎりサンド」と、オリジナル 「なるほど・ザ・ODEN」を披露することを目的として企画したものである。 主な参加者は、各大学に通う外国人留学生や外国語学院教師、各国 大使館員などと、日本の各大学のESSサークル部員、外語大学生、女子学生などの一般学生たち多数であった。 大勢の国際的若者たちが、東京タワーからのロマン チックな東京の夜景をバックに、珍しい海外料理を味わい、コンサートやディスコダンス、ゲームなどを心ゆくまで楽しんだ。 このイベントが、翌年の『東京キャンパス・サミット'88』に、繋がっていくのである。 コンビ二に限らず、フランチャイズ・チエ―ンの運営には、常に賑やかな、 元気の出る『お祭り』が欠かせないと思う。 景気、不景気に係わらず、加盟店のオーナーさ んたちやお店で働く人々、そして日々お店をご利用・ご支 持してくださる地域のお客さまを巻き込んで、親密で 、温かい家族的な一体感を醸成するための『お祭り』を、チエーン の伝統として無形資産化していくことが、極めて大切であると確信する。 その意味で、以上のようなサンチェ―ンのメセナ活動は、サン チェ―ン流の地域のお店とお客さまを巻き込んでの、エキサイティングな『お祭り』の推進活動であったといえよう。(以下次号) |
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