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鈴木貞夫のインターネット商人元気塾
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

鈴木貞夫

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【9月号】


<コンビニ創業戦記>第28回
・・ロ―ソンのル―ツ「サンチェ―ン創業物語」・・


<サンチエ―ン・ダイエ―グル―プ時代(その10)>
――シテイ・コンビニエンスへの挑戦(8)――


「CONPLETE・STORE創りへの挑戦」①
昭和61年(1986)度は、サンチェーンの創業満10周年の年であった。私は、年度方針を「変革の年」と命名、FCチェーンに生まれ変わる「FC元年」と意義付け、そのために「三つの変革」を推進することを打ち出した。即ち、一つは全ての仕事はお店からの発想に立つと云う「意識変革」であり、二つは、単なる物品販売業から情報、価値を売る情報武装型・創造開発型企業への変身を目指す「システム変革」であり、三つは、本部と店舗との強固な信頼関係を確立する組織運営、コミュニケーションのあり方を追求する「マネジメント変革」である。 重点経営施策として、「社員独立(FC-C契約)の計画的促進」、「個人商店加盟店(FC-B契約)開拓の推進」、「個店の労務改善(ぱーと3プロジェクト)と生産性の向上の仕組み(POS導入プロジェクト)の推進」などを掲げた。その具体的実践について、幾つか述べておきたい。

1・サンチェーン・フランチャイジー共済制度創設

サンチェーンのフランチャイズ・システムは、創業1年3ヶ月目の昭和53年(1978)2月、店舗数が約120店に達した頃に発足させた社員独立による運営委託制度「サンチェーン・ファミリーチエーン・システム」が、その原点である。 コンビ二チエーン運営のノウハウを手作りで構築する必要から、レギュラーチエーンでスタートしたサンチェーンを、急速出店・急成長の中で、如何に素早くフランチャイズ体質に切り替えていくかは、当時の非常に重要な経営戦略課題の一つであった。 「サンチェーン・ファミリーチエーン・システム」は、既述の通り、ハワイ商法の「社員暖簾分け制度」を応用したものであり、独立商人へ挑戦し易さを優先したものであった。 これは、企業内企業家の育成と輩出の仕組みであり、人間性尊重のY理論に基付き、合理的な利潤動機をシステム化したものである。フランチャイジーの努力に見合う報酬、挑戦に見合う成果の仕組みとして、当時の他チェーンにはない優れたものであった。 この仕組みの積極的な推進によって社員独立オーナーが増え、FC店化率50%を超えるようになると、「フランチャイジーが安心してお店を経営できる福利厚生制度」を構築することが急務となる。これに応えるために、昭和59年(1984)5月、店舗数700店の時、事前準備を重ねて「フランチャイジーとその家族、及びお店に働く従業員を包括的に保障する安心制度」として、『サンチェーン・Fジー共済制度』を発足していたが、これを更に充実させた。この制度は、発足当初、団体生命保険、普通傷害保険、所得保障保険の三つの保険により、各種の保障と給付を行うものであった。この制度をベースに、漸次、内容を向上・進化させて、やがて今日のコンビ二業界に冠たる、現在の「ローソンオーナー福祉会」に発展していくことになるのである。



2・フランチャイジー・オーナー会の定期開催

店舗数が増加し、社員独立による加盟店が増えてくると、フランチャイジーとのコミュ二ケーションをいかに深めるか、が非常に重要な課題となる。 RC 店長会は毎月1回開催していたが、「フライチャイジ―会」は年2回春・秋に定期開催することにした。フランチャイジーの皆さん一人ひとりとの意見交換、交流を深めると共に、サンチェーンの目指す商人の道について、共通認識を強める場でもあった。 私は、その機会を捉えて、それぞれのフランチャイジーが、「自らのお店の『COMPLETE  STORE創り』に邁進してくださるように」と、次のようなコンセプトを提示して熱弁し続けた。



3・日本初のガソリンスタンド併設店舗「CVSS」の実験

コンビ二のルーツ・アメリカでは、当時ガソリンが最主力の戦略商品であった。日本でも本格的な車社会が到来しており、立地に恵まれたコンビ二では、車の燃料であるガソリンへの需要は高いと想定されたが、生憎、消防法により厳しい制限が存在していた。サンチェーンでは、全国に9千スタンドを有する出光興産(株)との提携交渉を重ねて、漸く昭和61年(1986)春、合意に達し、ガソリンスタンド併設の実験店舗「サンチェーン・コンビ二エンス・サービス・ステーション(CVSS)」を、 昭和61年4月、関東の船橋と神奈川で2店舗、昭和61年12月、関西で「中環堺店」、昭和63年3月「高野泉町店」、更に同年4月関東の裕光苑店をオープンすることとなる。

全国のガソリンスタンドは、既に過剰状態にあり、サンチェーンとしては、重要なFC候補店として、また他チエーンとの差別化戦略展開の一環としての期待からであった。 これは日本で始めてのガソリンスタンド併設のコンビ二であった。その後、グローバル化と規制緩和の動きの中で、無人自動販売などが可能となり、スタンドの淘汰が進み、現在に到るのである。



4・日本初のニューメディア・INS実験店

当時、高度情報化社会の到来が、声高く叫ばれていた。これに対応するため、民営化間もないNTTは、東京三鷹地域において高度情報通信システム・INSの実験を行うため、モニター企業の参加を求めた。サンチェーンは参加を決め、昭和60年4月、INS実験店「三鷹仲通店」をオープンさせる。参加の目的は、各種のニューメディアの実験を通して、各種の情報サービスを提供する新しいCVSのあり方を探ろうというものであった。 当初、設置されたニューメディアは、「デジタル電話」(3者通話・音声情報・案内・伝言板・伝言送達など)、「デジタルファクシミリ」、「デジタルキャプテン」、「VRS」(画像応答システム)。「テレポスト」(ビデオテックス)などであった。 それから25年、急激に進化したグローバル・インターネツト社会の現在から見ると、真に初歩的で、幼稚とも云うべき段階のものであったが、業界内外の注目を集め、オープン当時は、見学の人並みが絶えなかったのである。



(以下次号)

  
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