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鈴木貞夫のインターネット商人元気塾
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

鈴木貞夫

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【11月号】


<コンビニ創業戦記>第30回
・・ロ―ソンのル―ツ「サンチェ―ン創業物語」・・


<サンチエ―ン・ダイエ―グル―プ時代(その12)>
――シテイ・コンビニエンスへの挑戦(10)――


サンチエーンの歴史を振り返ってみると、さまざまな挑戦の思い出が甦ってくる。 特に商品開発では、今考えると随分無茶な挑戦をしたこともある。 いろんな意味で高い授業料についた挑戦の例も含めて、時系列でいくつか挙げてみよう。

①・創業初年度に、鳥豚牛などの「生鮮肉を、東富士農協から直接仕入れ」を試みたことである。

昭和51年(1976)秋ごろ、日経流通新聞に、「東富士農協が地元産生鮮肉の直営加工場を開設した」との小さな記事が掲載された。 サンチェーンの創業準備で取引先開拓に大童だった私は、直ぐに東富士農協を訪問し、直取引をしてくれるように交渉した。 富士山麓からの産地直送の生鮮肉が、サンチェーンの独自性を代表する看板商品に出来るのではないかと考えたからであるが、昭和51年11月26日のサンチェーン1号店(駒込店・町屋店・富士見台店)の3店舗同時オープンチラシには、そのイメージが素朴に表現されている。 これは全くのアマチュア発想で、「コンビ二での生鮮生肉の販売管理が、如何に難しく大変であるか」、を全く理解していなかったのである。



御殿場の東富士農協工場からは、1号店オープンから40号店を開店するまでの約半年の間、毎日全店舗へ配送して頂いたが、遂に物流コストが合わないとの理由で中止することとなる。 だがこれを契機として、やがて本「コンビ二創業戦記」(第14回)で既に述べたように、日配食品の集配小分け機能を持つ子会社・(株)サンデイリーフーズを創設することに繋がっていく。 また、18年後の平成6年(1994)に、5000店達成記念事業の一環としてオーナー研修のための『ローソン東富士ゲストハウス』を、同じ東富士の地に開設することになるのも、奇縁というほかない。

②・昭和53年(1978)秋、店舗数200店舗の頃、「うどんロボ(自動調理機)」の実験に 挑戦したことがある。 

当時のコンビ二には、お弁当・おにぎりの外に、現在のようなファストフーズ商品は殆ど存在していなかった。

今日では名物定番となっているコンビ二「おでん」も、その頃はそれぞれのお店が「手作りの素材と手作りの味」で調理・販売していたのである。  私は、当時お店で販売していた「生めん」を、省力で自動的に調理する機械ができないかと考えた。 某電気冷機メーカーに相談して試作機を作り、何回か実験を重ねた。 これなら素人でも簡単に調理できると見定めて30台ほど発注し、お店に導入した。

店頭に夜鳴きうどんの「赤提灯」を提げて宣伝したが、一日10杯ぐらいしか売れない。 今日のように電子技術が、まだ十分に発達していない時代のことである。 味のレベルや温度の調整が上手くいかない、機械の故障も多い、などで中止せざるをえなかった。 今でも、米飯調理コーナーや麺類調理コーナーをコンビ二店内に設けているお店があるが、調理技術面・人件費面・スペース設備投資面・売り上げ面などで、満足すべき効率を挙げている例はまだ少ないと思う。  現在のハイテクを駆使すれば、より効果的で効率的な「うどんロボ」が実現できるのではなかろうか。

③・「自動補充発注」の実験に挑戦

この「コンビ二創業戦記」(第21回)でも書いたが、昭和57年(1982)秋、サンチェーンにとって画期的な第二次コンピューターオンラインシステム・『ATLAS』を導入した。

その導入目的は、
①・鮮度の高い店頭情報の収集による経営効率の向上
②本部と店舗間情報距離の短縮とスパーバイザー業務の効率化
③・発注システムの改革と店舗内事務作業の軽減化などの実現であった。
そのために、本部には「大型ホストコンピュータ」、店舗には「ディスプレイ付端末『ASSIST』」を導入してオンライン化し、店舗での発注作業の軽減と欠品を減らす意図の下に、グロサリー・サンドリー商品の「自動補充発注システム化」を実現しようとするものであった。    



残念ながら、この時の「自動補充発注システム化」は成功しなかった。

グロサリー、サンドリー商品の発注数量のコンピュータによる自動判別は、店舗類型のグループ分けの不正確さ、季節変動データ・曜日変動データの蓄積不足、新店仮説データの予想不可知性などの困難要因に加えて、プログラム開発の準備不足、実験不足であり、当時のサンチェーンの企業としての力量不足があったといえよう。

約1ヶ月の試行錯誤と混乱の後、自動補充発注を中止し、ATLASオンラインによる「店舗オーダーブック発注」に切り替える苦い決断をすることになる。

自動補充発注システム化には失敗したが、「ATLAS」オンラインは、本部と店舗の2WAY化による経営効率向上と事務作業効率化に、大きく貢献していったことは間違いない。

この挑戦は、その後のサンチェーンPOSネツトワーク・システム開発・導入における貴重な経験ともなっていく。

現在のコンビ二が持つIT技術水準と情報処理能力からすれば、複雑化する店舗作業をより軽減するために、特定商品群における自動補充発注のシステム化は十分に可能であろうと考えられる。                                         (以下次号)

  
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