1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、 1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、 1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。 1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身 |
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鈴木貞夫氏(すずきさだお) | ||
【12月号】 |
<コンビニ創業戦記>第31回
<サンチエ—ン・ダイエ—グル—プ時代(その13)> ・出来たてのあったか弁当チェーン「サンデリカ」展開の実験 創業当時、コンビ二の米飯商品(お弁当・おにぎりなど)の生産供給体制は未だ確立されて居らず、どちらかと云うとベーカリー・パンの補助的商品のように扱われていたと思うが、店頭での売れ行きは非常に良かったから、私は「米飯がコンビ二の主力商品になっていくだろう」と確信していた。 サンチェーンが100店舗規模になった頃、新店出店の立地調査のため都内を走り回っていた時、幹線道路沿いに「ほっかほっか亭」という弁当販売専門店の看板と幟が多く目に付きはじめた。 私は強い関心を持ち、すぐさまその運営の仕組みについて、社員に本部を訪問・調査させた。 「ほっかほっか亭」も創業して間もないころのことで、創業者の田淵道行さんにもいろいろ親切に情報を頂いたようである。 田淵さんとは、後にダイエーグループの仲間となり、交流させていただくことになる。 私は、昭和52年(1977)11月、子会社(株)サンデリカフーズ(井上専務)を設立した。 サンデリカフーズは、「弁当の調理販売専門店のチェーン展開を目指す」と共に、それぞれの店舗が「近くのサンチェーン店への弁当生産・供給のサテライト基地の役割を果たす」ことを目的としていた。 —— <サンデリカのパンフ>—— サンデリカお弁当販売店は 10店舗ほどで打ち止めにした。店売りよりも、サンチェーン店への弁当供給が忙しくなったからである。やがて(株)サンデリカは、1箇所に集約し、サンチェーンの首都圏専用米飯工場 として、ローソンと合併するまでの約10年間、大いに健闘してもらうこととなる。 ・オリジナル・ファストフーズ商品開発の挑戦 [1] サンチェーン商品開発のキーポイントは、「差別化商品を如何に創造できるか」にあり、特にオリジナルなコンビ二・ファストフード開発こそ最重要であると考えていた。 ファストフーズ商品開発に当たっての基本姿勢として、 ・即食性に優れていること ・ベーシックで現代人に好まれること ・新鮮な味覚であること ・"食"の機会を広げるものであること、 の4点を明確にした。 この方針に従って推進された、サンチェーンのオリジナル・ファストフーズ開発の実例を次に、いくつか例示しておきたい。 *・昭和58年(1983)1月、サンチェーンは、牛肉100%上級パテイを使用した本格派商品を開発、「サンチェーンオリジナルバーガー」として全国一斉に発売した。 当時コンビ二などで販売されていたハンバーガーのパテイには、つなぎ材料が含まれてパサパサした食感のものが多かったが、この商品はつなぎゼロのためまろやかな舌触りと格段の美味しさで好評を博したのである。 *・昭和59年(1984)9月、サンチェーンはオリジナルFF商品「サンチェーンHOTπ(ホットパイ)」を新発売した。 小さなお子様から大人まで男女を問わず好まれる「ハム&チーズ・ホットπ」 ピリッと辛さが利いた男性的な味の「カレー・ホットπ」ポークを使った中華風味付けで女性向の「ミート・ホットπ」の3種類であった。 食生活の変化に応じて、ライバルチェーンとの差別化を図ることが開発の目的であった。 *・昭和62年(1987)5月、「サンチェーンプチおでん・やきとりODEN」発 売 通常「コンビ二おでん」といえば、男性客中心のイメージが強かったが、「プチおでん」(シイタケ・ヤングコーン・つみれ・ウズラ卵など)は、食べやすい一口サイズ(60%の容量)で、若い女性をターゲットに開発した商品であった。 「やきとりODEN」は、本格炭火焼のやきとり(たけま・つくね・レバーとカワなど)を、おでんダシで仕上げた商品である。 やわらかいが一度焼いてあるので、ふわふわではない歯ごたえのあるやわらかさ、という新しい味で評判を呼んだ。 また、容器も従来型のどんぶり型からカップ式のタテ型容器に切り替えて、若い男女が「おでん」を片手に街を歩くという「ファツション化と年間商材化」を狙ったのである。 この一年のご愛読 有難うございます。 来たる2010年が「素晴らしい希望の年」でありますように! 鈴木貞夫 (以下次号) |
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