1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、 1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、 1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。 1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身 |
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鈴木貞夫氏(すずきさだお) | ||
【1月号】 |
<コンビニ創業戦記>第32回 新年春風暖 新年の 春風暖かく 万物従成長 万物は それに伴い成長する 一生能畿時 一生は どれだけの年月であろうか 不言身後事 死後のことは 言わず 人生自可楽 人生を そのまま楽しめばよい 平成生誠実 平成 誠実に生きれば 艱難殊不勿 艱難は 問題ではない 事業無窮年 商人の事業は 窮まることはないのだ
<サンチエ—ン・ダイエ—グル—プ時代(その14)> ・オリジナル・ファストフーズ商品開発の挑戦 [2] *・昭和62年(1987)7月、「サンチェーン・ポツプスパン」発売 パンの新しい需要と創造を目的に、1950〜60年代に流行したアメリカンポツプスの曲名を、そのまま商品のネーミングにしたものである。 「サンチェーン・ポツプスパン」は、若いお客様には新鮮感、40代以上のお客様にはレトロ感覚を提供しようと開発した菓子パンであった。 味は「激辛」から「大甘」まで、パッケージには、「監獄ロック」「ヘイ・ポーラ」「「ベビー・フェース」「ハートでキッス」「火の玉ロック」などのヒツトソングを商品名に、エルビス・プレスリーなどの有名歌手や歌の解説も加えられていた。 *・昭和62年(1987)7月、「サンチェーン・おにぎりサンド」開発発売 おにぎりに、コロッケ、カツ、ハンバーグ、ツナサラダなどの洋風の具材を合わせ、三角サンドの形に仕上げた「おにぎりサンド」は、お客様に好評で、新聞や週刊誌にも取り上げられ、「第二次おにぎりブーム」を拓く、おにぎりの伝統のイメージを打破する新鮮革命児と注目された。 開発に当たっての基本的な考え方は、コンビ二の有力商材であり、日本古来のファストフーズである『おにぎり』を、ただ単に具のアイテム増加や包装の簡便化だけではなく、今までにない目新しい価値を創造しようとの「おにぎり革新」にあった。 "おにぎり新鮮革命"をスローガンに、「おにぎりとサンドイッチをドッキングさせよう」との発想で取り組んだ。 当時の「おにぎりサンド」の商品説計サマリーは次のようなものである。 従来のシャケ、ツナ、オカカ、ウメ、タラコなどの具に代えて、コロッケ、カツ、ツナサラダ、ポテトサラダなど洋風の味を、ヴァリエーションとして追求した。 具は従来のおにぎりの4倍の量が入っており、外見からは既に海苔が巻かれているように見えるが、海苔は食べる直前に巻く方式で、ユニークなこの商品のために、独自の製法特許・実用新案を持つ製造機を、試行錯誤を重ねて開発した。 見た目の面白さ、楽しさなどハイセンスなファツション性を備えた「おにぎりサンド」は、当時の若いお客様に大いにアピールしたのである。 *・昭和63年(1988)、女性チームによる「サンチェーン京風寿司・京風弁当」の開発発売 サンチェーンはかねて、お弁当メニューの開発方針として、 ・「出来立て」 ・「手作り」 ・「本物」の3本柱の追求、 すなわち「おふくろの味」をどれだけ実現するかを基本に、様々な挑戦を試みていた。 その一貫として、女性社員プロジェクトチームを編成、女性の社会進出で有職主婦が増加していくなどのライフスタイルの多様化に対応するお弁当の開発を行ったのである。 このプロジェクトチームは、女性らしい細やかな感性と情緒を活かし、そのころ始まっていた京都ブームを追い風に、「京風寿司」と「京風弁当」の31種類のメニューを開発、次々と発売する。 レトロ感覚の梅柄容器に、京風感覚溢れる食材を盛り込んだお弁当、寿司が大きな反響を呼び、特に若い女性のお客様の支持を受けた。 サンチェーンの「京風寿司」と「京風弁当」は、コンビ二業界における郷土色豊かな「ご当地弁当」開発の先駆けでもあったといえよう。 (以下次号) |
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