1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、 1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、 1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。 1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身 |
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鈴木貞夫氏(すずきさだお) | ||
【3月号】 |
<コンビニ創業戦記>第34回
<サンチエ―ン・ダイエ―グル―プ時代(その16)> ⑨・「サンチェーン店舗日誌」の勧め サンチェーンの24時間・年中無休・営業体制の中で、常に意識したのは、「本部と店舗との間の情報共有レベルを如何に高めるか」であったが、同時に、それぞれの店舗、個店内で「働く全ての人々同士(オーナー、店長、社員、パート、アルバイトなどの交代勤務者)相互間のコミュニケーションの質を高める」ことも、非常に腐心した課題であった。 コンビ二の個店内では、全員が同時に一堂に会してのミーティングは中々開催できない。 現在のようなITインフラやデジタル情報機器はまだ存在しなかったから、どうしても社内文書と連絡メモ及び口伝え・伝言に頼らざるを得なかった。 創業当初は、オーナーや店長が、それぞれ連絡ノートなど創意工夫して対応する個店毎のやり方であったが、次第に標準化を図り、年々改良を加えた結果、「サンチェーン店舗日誌」が出来上がっていったのである。 「サンチェーン店舗日誌」は、店舗に於ける経営の4要素「人・もの・カネ・情報」を効率的に活用していくための、「店舗経営の基本的マネジメントツール」の役割を果たすものであった。 「サンチェーン店舗日誌」には、 ①・売り上げ・客数目標を記入、売る喜びを持つことが出来る。 ②・稼動計画を記入でき、責任感・安心感を持つことが出来る。 ③・作業割り当てを記入でき、役割意識を明確に出来る。 ④・季節催事や新商品など重要指示事項が徹底出来る。 ⑤・報告とお互いの連絡事項が記入できる。 ⑥・お客様の生の声を記入することによって、感性を高め、地域のニーズに合う店作りに役立つ。 ⑦・日々のお店の動きの記録を積み重ねることで、お店の伝統、即ち店風が創られていき、同時に、お店の歴史を残していくことが出来る。 などの機能が含まれていた。 私は、会議やミーティングなど機会ある毎に、「全店舗の全員が、毎日きっちりと記入し よう」、と熱心に呼びかけた。 私自身、お店を訪問するたびに、必ず店舗日誌を読み、お店の皆さんの日ごろの激闘への 謝意と激励のメツセージを、自筆で書き伝えることを旨とした。 これは、後にローソンと合併後も、引退するまで、私が長年継続して実行し続けたこと である。 店舗日誌の活用の定着・習慣化こそが、「お客様第一の良き店風」(ストア・カルチャー) の基礎創りになると考えていた。 また、「良き店風」の積み重ねが、「良き商人の社風」(コーポレート・カルチャー=チェー ン・カルチャー)を形成していくと確信していたからである。 「サンチェーン店舗日誌」は、今日では「ローソン・オペレーション・ノート」に進化し て活用されている。 ⑩・サンチェーン社長塾の開催 創業時、急速出店に伴い急増する社員のモチベーションを高め、コンビ二商人としての心 構えとスキルを、如何に身につけてもらうかについては、本当に苦心した。 この「サンチェーン創業物語」第15回(2008年2月号)でも触れているが、当初は、 個々の社員との心のつながりを強めるストロークとして、「誕生祝はがき=バースデイ・カ ード」を私の手書きで毎年、全社員に出し続けることに加えて、個々の社員との個人対話 の機会を「社長ロマン対談」として積み重ねていく努力を、長年続けたのである。 だが、チェーン規模が1000店に近くなり、フランチャイズチ―ン化が進んでくると、「誕生祝はがき」はともかく、個人対話の継続が困難になる。 そこで考えたのが「サンチェーン社長塾」であった。 昭和61年(1987)頃から、毎週1回の全体会議の前に30分間、[変革型リーダーの育成]を目的に対話的形式で スパーバイザーを対象とした「サンチェーン社長塾」を 開催していく。 内容は、その時々の重点施策の基本的考え方、その具体的実践の方法、更には、人生観、歴史観、経営観、時流の観方などに及ぶ幅広いテーマについて、私の確信を熱く語り伝えようとするものであった。 「サンチェーン社長塾」は、ローソンとの合併まで間に50回ほど継続したと思う。 社長塾といえば、後に、中内さんが、ダイエーグループ会社の社長・幹部たちを対象に、芦屋・六麓荘の中内別邸『満山荘』で「中内商人塾」を開講され、自ら実践されてきた商人哲学とロマンを、直に、熱く、説かれたことがある。 私もその第四回塾生として、ちょうど桜が満開に咲き匂う頃に、中内門下生として何日か泊り込みで参加出来たことは、今は、とても忘れえぬ懐かしい思い出の一つである。 (以下次号) |
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