1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、 1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、 1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。 1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身 |
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鈴木貞夫氏(すずきさだお) | ||
【5月号】 | ||
<コンビニ創業戦記>第36回
<サンチエ―ン・ダイエ―グル―プ時代(その18)> *サンチェーン創業満10周年記念・第25回社員総会(2) 第25回社員総会には、当時の(株)ダイエー戸田副会長、松岡CVS事業本部長、(株)ローソンジャパン都築社長なども参列していた。 サンチェーンの社員たちは、自らの持つ組織的エネルギーと成長力を示そうと気合十分で、会場は活気と熱気で盛り上がっていた。 「10年勤続表彰」) 中内社長の講演に続いて、私は社員の勤続表彰を行った。 先ず10年勤続者6名、次いで9年勤続者4名、8年勤続者23名、7年勤続者49名、6年勤続者51名、5年勤続者38名、合計171名の表彰である。 私は、この10年間の創業期に、「日本初の全店24時間・年中無休営業」という常識破りの労働条件の中で、良くぞこれだけの人材が生き残って、サンチェーンの創業・企業建設の中核人材として成長し、貢献してくれたことに、心から感謝せずにいられなかった。 今そのリストを見るとき、彼らの殆どが、合併後の(株)ダイエー・コンビニエンス・システムズ、そしてその後の(株)ローソンにおいて、それぞれの部門での不可欠な中核人材群となっていったことを、今更ながらに痛感する。 現在もローソンの経営幹部やローソン店オーナーとして大活躍中の人や、既に引退し第二の人生を送る人、新しい分野で活躍している人など多士済々であるが、中には既に、惜しまれて鬼籍に入った仲間もいるけれども、あの日の彼ら一人ひとりの、誇りに満ちた輝やくような若き日の顔が、私の瞼に、まざまざと浮かんでくるのである。 サンチェーン社員初の10年勤続者は、黒田清さん、椛木和夫さん、小木曽信隆さん、葛西徹さん、権田ヨウ子さん、湯浅克子さんの6人であった。 この年に続いて、翌年、翌々年と対等合併する平成元年まで、10年勤続表彰者が続々と誕生していくことになる。 「米国ハワイ流通研修ツアー結団式」 勤続表彰に続き、「サンチェーン創業10周年記念・米国ハワイ研修ツアー」葭田団長以下20名のメンバー全員が壇上にあがり、顔を紅潮させながら、自己紹介と研修の抱負を発表、晴れやかに結団式を執り行った。 日本が世界のコンビ二最先進国となっている今日とは全く異なり、当時は誰もが「コンビ二の本場はアメリカなり」と信じていたから、研修メンバーに選ばれることは極めて名誉なことであり、メンバー全員が高い目的感と、選ばれた者の使命感を強く感じていた。 私はサンチェーン研修ツアー団旗を、葭田団長に授与、メンバー全員を熱烈に激励した。 研修メンバーは、1週間の日程で、ハワイ最大のアラモアナ・ショッピングセンターやセブンイレブン、サークルKなどをじっくりと見学、米国流通の実態の一端を学ぶことになった。 <研修メンバー決定を知らせる社内報「ひまわり」の記事> 研修メンバーは、現地到着後、先ずは、当時のダイエーU・S・Aによる米国流セミナーで米国における小売業の現状と競争環境の厳しさを受講した上で、それぞれが意気揚々と数日間の自由視察を行いながら、ショッピングに、レジャーに、ハワイを満喫した。 研修成果の報告は、帰国後まとめて、全体会議の席上で発表、全社員の注目を浴びたのである。 米国流通研修ツアーは、その後も毎年継続していくことになる。 やがて合併後、ローソンの「オーナー海外研修ツアー」や「オーナー契約更新ツアー」などに発展して、今日に至るのである。 結団式に引き続き、サンチェーン新CIに基付く「店頭ファザード等、店舗ハード面の変革」、おにぎりサンド、オリジナルODENなどの「商品開発の変革」、新ユニフォーム、サンチェーン放送局開設、S・M・B等、販促・社会貢献面のなどの「チェーンイメージ変革の状況」などを――いずれもこの「コンビ二創業戦記」の前号までに既述した内容であるが―、この社員総会の場で、映像と現物モデルにより全社員の前で華々しく披露した。 松岡ダイエーCVS事業本部長の激励を受けた後、私が「第3創業宣言」として全体の総括を行った。 (以下次号) |
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