最新の食情報を動画配信する食の王国【フードボイス】 食の安全、安心、おいしさ、健康を提唱しています
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

鈴木貞夫

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【5月号】


<コンビニ創業戦記> 第14回
・・・ローソンのルーツ「サンチェーン創業物語」・・・


「サンチエーンの創業」
<T・V・Bサンチエーン時代(その8)>
--チェ―ン・インフラの整備--


この年、大阪、名古屋、福岡、札幌、仙台へと全国展開をスタ―トとさせながら、関東でも横浜、川崎、三多摩、埼玉、千葉へと出店エリアを拡大していく。
昭和53年(1978)10月には、全国で200店舗体制となった。
新店舗オ―プンが急増する中で、24時間・年中無休営業に伴なう店舗のオペレ―ション負荷を飛躍的に軽減し、店舗生産性を向上させることが、緊急に求められた。
これに応えるために、先ず、昭和53年8月、足立グロサリ―物流センタ―と江東菓子物流センタ―を管理運営するサンチェ―ン商事(株)(執行責任者青柳専務)を設立する。
正確な小分けピッキングによる欠品の防止、値付けの完全実施と、新商品導入のスピ―ドアツプなどを目指したものである。
特に菓子については、営業担当者の各店訪問による「ラックジョバ―方式」を採用して、店舗側の発注、陳列、在庫管理作業などを軽減し、顧客満足を高めようとするものであった。
ついで、2ヵ月後の昭和53年12月、(株)サンデイリ―を設立スタ―トさせた。
これは、牛乳・乳製品、生麺類、豆腐、漬物など水物商品、魚・肉製品、惣菜などのデイリ―商品の値付け・小分け・相積み物流、鮮度管理を行うデイリ―物流センタ―の管理運営会社である。
これにより、当時はそれぞれのデイリ―商品ごとに物流が行われ、お店から見れば、1日に10台以上の物流車両が納品にきていた状態から、1日1台、一度の応対ですむ事となり、検品、陳列などの作業時間は飛躍的に改善される事となった。

 

(株)サンデイリ―の経営執行責任者黒田清専務には、この開設に当たり非常に苦労をかけたが、持ち前の誠実さと粘り強い努力で、見事に期待に応えてくれた。
黒田さんは、サンチェ―ン創業当初の7人のメンバ―の一人であり、その後もサンチェ―ン・ロ―ソンと、幹部要職を長年にわたり勤められたが、10年ほど前に、チャレンジオ―ナ―として独立し、筑波学園都市の近くで、ロ―ソン筑波梅園店など二店舗を、隆々と経営している。
現在、ロ―ソンオ―ナ―福祉会理事としても、元気に活躍されており、喜ばしいことである。

この二つの会社に先立ち、既に1年前、昭和52年11月に、青果の小分け包装及び物流を担当するサンチェ―ン青果(株)(田中専務)と、専用米飯製造と物流機能を担う(株)サンデリカ・フ―ズ(井上専務)を発足させていた。
この四社が、当時のサンチェ―ンの商品物流に関わるチェ―ンインフラの基本的な柱であり、自分達の創意と努力により、自力で創り上げていこうとの挑戦であったと云えよう。

ここで、創業2年目に当たるこの1年間の組織の成長の速さを、組織図の変化で見てみよう。

 

 

 

創業して9ヶ月後の昭和52年7月には、店舗数50店舗前後、社員数約150名になっていたが、1年2ヶ月経過した昭和53年10月には、店舗数も200店舗に達し、社員数は500名に急増していた。
その当時の組織図が上記のものである。

 

このように急成長が進む中で、急増していく若き社員達の志気の昂揚と組織的一体間を如何にして高め、強く育てていくかは、全ての経営課題を乗り越えていくための大前提であった。
企業の実力は、変化適応力、攻めと守りのバランス、そして人材力の総和といわれるが、その根底をなすものこそ、まさに人材力であろう。

強く、逞しい、人間的魅力に溢れた人材の城を築く事こそ、企業の実力を創ることであると考えていた。次号で、それに関するサンチェ―ンの経験について触れたい。

 

(以下次号)

<<4月号  6月号>>
▲このページのTOPへ