第361話 いりやき蕎麦を作ろう♪

     

対馬を訪れた後、そのことを協会のホームページに掲載したり、「深大寺そば学院」や「江戸ソバリエ・ルシック寺方蕎麦研究会」で話したりしていたら、今度は「ウンナンの会」の平林代表(江戸ソバリエ・ルシック)が、会で対馬の《いりやき蕎麦》を作って食べようと提案された。
《いりやき》というのは寄せ鍋みたいなもので、その最後に蕎麦を入れて食べるから《いりやき蕎麦》というらしい。
ただ、郷土料理は郷土の食材を使用しなければ意味がない。《いりやき蕎麦》の食材は、①対馬地鶏で出汁をとることと、②「対州蕎麦」を使うことがポイントである。しかも寄せ鍋だから、対馬地鶏を買ってきて、コトコトと煮るつもりであったが、生憎近くには対馬地鶏を売っている店がない。どうしようか?と考えあぐねていたとき、現地でお世話になった対馬市役所のAさんが「いりやきセット」といって対馬地鶏の出汁と肉が販売されているとおっしゃっていたことを思い出した。どうせ対州蕎麦も頼まなければならないからということで一緒に送ってもらった。

さて当日であるが、対州蕎麦は平林さんが打ってきてくれたし、寄せ鍋の材料は菊地さん(江戸ソバリエ・ルシック)と田口さん(江戸ソバリエ・ルシック)が準備してくれたから、私はボーと見ているだけで、あれよあれよと進んでいった。
《いりやき》というのは鍋物だから、本当は酒を飲みながら、時間をかけて食べるものであろう。そして食べ終わった鍋を見ると、濃縮した旨そうな汁が残っている。これはもったいない! じゃあ、飯を入れておじやにするか、麺でも入れて食おうかという気になる。そのとき蕎麦を入れたのが《いりやき蕎麦》となったのだろう。
ところが、今日はこの後、宮本さん(江戸ソバリエ)の《ソバパエリア》や寺岡さん(江戸ソバリエ)の《蕎麦粉の蒸しパン》も続いているから、そんなにゆっくりしていられない。というわけで、今日の《いりやき蕎麦》は《とうじ蕎麦》風か、シャブシャブ風で食べてもらうことにした。皆さんは、「対馬地鶏が旨いし、汁の味がよかった」とおっしゃっていた。

ここで、対馬の蕎麦の意義は言っておかなければならない。
一つは、対州蕎麦は日本の蕎麦のルーツであるということ。
蕎麦界の泰斗である大西教授氏原教授の調査研究の結果、秋型ソバが原産地の四川・雲南 → 中国北方 → 朝鮮 → 対馬 → 北九州 → 本州 → へと伝播していったこと。
二つめが、蕎麦の汁は鶏や山鳥だっただろうということ。
中国の承徳市陸化県の店で食べた蕎麦の汁は鶏だったが、それが蕎麦汁のルーツなのかもしれない。
ただ日本人が鶏を食べるようになったのは明治からであるから、当初は鶏の代わりに山鳥を使っていたと思われる。
蕎麦研究家の笠井俊弥さんは「半世紀以上の昔、祖谷に行ったとき《蕎麦雑炊》を食べさせてもらった。そのときの出汁は地鶏だったが、それは近頃のことで、昔は山鳥でとっていた」という話を聞いたという。
だから、対馬もたぶん最初は山鳥だったと思われるし、また私の故郷の佐賀県の富士町ではつい最近まで《鳩蕎麦》があった。
そんなことなどを思うと、日本橋で生まれた《鴨なん》もごく自然な流れであったと思う。

とにかく、Ⅲ《江戸蕎麦》以前の、Ⅱ《寺方蕎麦》より、さらに以前のⅠ《鳥出汁蕎麦》の存在を、今日の《いりやき蕎麦》から想うのも一興であろう。

参考:大西近江先生の講演、氏原暉男先生の話、笠井俊弥さんの話、阿比留裕史さんの話、深大寺そば学院(平成27年12月24日)、寺方蕎麦研究会(平成28年3月28日)、ウンナンの会(平成28年6月10日)、
http://www.edosobalier-kyokai.jp/pdf/tsusima_hoshi.pdf いりやき蕎麦

〔江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる ☆ 文〕