第384話 高尾山の《とろろ蕎麦》

     

高尾山といえば、今は《とろろ蕎麦》が名物になっている。
その《とろろ蕎麦》について、ある雑誌社から依頼されて調べに行った。
当地での元祖は「竹乃家本店」ということを聞いていたが、今は閉店している。そこで健在の「竹乃家支店」(昭で和40年開業)で聞いたところ、《とろろ蕎麦》は明治か大正のころ始めたという。
その《とろろ蕎麦》を「高尾山の名物にしよう」と採り上げたのは13年前、今の「高尾山冬そばキャーペーン」である。代表者は「橋本屋本店」の社長さんだ。
社長さんから話を聞いたところ、今では19軒の蕎麦屋がそろって《とろろ蕎麦》を商品にしているという。珍しい地域戦略だ。
「とろろ芋」については、日本一美味しいと定評のある千葉県多古町産のやまと芋を、多くの店で使用しているらしい。

出雲大社深大寺高尾山などの門前にある蕎麦屋さんというのは、一種独特の雰囲気をもっていることは皆さんも感じられることだと思う。
そもそもが、蕎麦が食べ始められたのは室町時代ごろからである。そのころの蕎麦は寺社で食べられていた。しかも蕎麦は今でいうフルコース料理の最後の締めに出されていたのである。
江戸初期になると、そのフルコースの中の締めの蕎麦が切り離されて、蕎麦単品を提供する外食屋としての蕎麦屋が誕生した。
寺社と蕎麦が合っているのは、そんな「寺方蕎麦」由来のせいだろう。
実際、薬王院では春~夏の季節限定で《蕎麦御膳》が頂けるが、まさに「寺方蕎麦」の面影を頂こうというわけだ。
あと、薬王院門前の「もみじや」や、蕎麦会席を供する「橋本屋本店」にも古の雰囲気がある。
あるいは、「栄茶屋」や「高松屋」の店先の、蕎麦打ちが見られるのは蕎麦好きには魅力であろうし、山の頂上で頂く蕎麦もまた爽快である。t-%e9%ab%98%e5%b0%be%e5%b1%b1

高尾山頂上までは、ケーブルカーで上り下りすることもできるが、帰りのケーブルカーの中で、高尾山名物「天狗焼」を口にしている人がいた。美味しそうだった。
と思ったら、乗っている人が皆、天狗に見えてきた。
窓の外には大きな天狗も突っ立って、ケーブルカーを見送っていた・・・なんて妄想すれば、それはまるで「童話の世界」だ!

《参考》KKベストセラーズ『一個人』平成28年12月号(今日発売)

〔文・絵 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる