第422話 なぜ冷たくて細長い麺を食べるのか?

     

~ 信州の更級蕎麦と、江戸の更科蕎麦 ~

千曲市で「さらしなの里 蕎麦祭り」が開催された。
なぜ「さらしなの里」という冠がのっかっているかというと、千曲市が更級郡+埴科郡の合併で成立した市だからだが、「さらしな」のネーミングは蕎麦好きにとって耳に心地よい。
それはともかく、私にも、何か話せといご指名があったので、陽を浴びて光る千曲川を久振りに渡ることになった。

祭りの広場には、様々な信州蕎麦が出店していた。
《ぼくち蕎麦》《おしぼり蕎麦》《おにかけ蕎麦》《すんき蕎麦》、そして《さらしな蕎麦》もあった。
ちょうど、東京からやって来た知人がすれ違いざまに「《さらしな蕎麦》といっても、白い蕎麦ではなかったヨ」と声をかけた。
「そう」と私も応じたが、その理由は、漢字で表記するとよく分かる。
つまり、当地の人は「更級産の蕎麦で打った蕎麦切」を供したのであるが、東京の人は「更科粉で打った白い蕎麦切」を期待したのである。なぜなら、江戸・東京では更科といえば、白い蕎麦をいうのだから。

私の拙い話の内容は省くとして、その夜のパーティでは、足利「蕎遊庵」の根本さんの《更科蕎麦》が振舞われた。皆さんは「蕎麦の芸術品だ」と感嘆した。
根本さんは、更科粉1000g、加水60%(熱湯60%+水40%)で打つ。更科粉の白度は85度、製粉は坂東製粉㈱。同社では、白度約83%以上を更科粉とし、以下は更科粉として販売しないという。ただ、使用する粉体白度計によって、白度は違うから、当社が使用している粉体白度計による計測での話だという。
「白度」なんていう尺度は、これまでの蕎麦界にはなかったと思う。
根本さんは「《更科蕎麦》を追求しているうちに白度を意識するようになり、それがエンボス延し棒開発へつながった」とよくおっしゃっている。

翌日は、上田に行って「おお西」の《さらしな蕎麦》を食べた。この店は水捏ねである。
東京に戻ってから、もう一度《更科》巡りをしてみようと思い、先ずは「おお西」で修業した「祈年」(六本木)を訪ねた。
それから根本さんと同じ一茶庵系の「和邑」(雑司ヶ谷)へ行った。「たかさご」(市ヶ谷)の裏メニューも食べた。老舗の「室町砂場」(日本橋室町)では《ざる》が更科粉、《もり》は一番粉で打っていた。もちろん、本家本元の「更科堀井」(麻布)にも行った。
いずれの《更科蕎麦》も気持いいくらいに美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  このような白くて冷たい麺の美味しさについて、幸田露伴の次女で文筆家の幸田文は、こんなことを述べている。
冷たい麺類の身上は爽やかさにあり、それは白い、細い、滑らか、冷たいの四つが集まって作られる、と。つまり、日本人は、舌の軽い喉越しのいい麺類で、清々しさ、涼しさ、上品さ、冴えを味わっているというのである。

そういえば、戦国時代に来日したルイス・フロイスは、自国の温かくて短いパスタと比べながら、「日本人は、なぜ冷たくて細長い麺を食べるのか?」と不思議に思ったようである。
その問いに、先の幸田文が見事に回答していると思うが、真っ白で細い《更科蕎麦》こそ、その王様であろう。

《参考》
幸田文著・青木玉編『幸田文 台所帖』(平凡社)
ルイス・フロイス著『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫)

《写真》蕎遊庵(撮影:ほし)、室町砂場(ほし)、更科堀井(ほし)、和邑(ほし)、おお西(ほし)、              たかさご(撮影:松本一夫氏)

〔文 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕