第606話 コムラードオブチーズ

      2019/12/16  

日本人はチーズというものを飛鳥時代に初めて知った。そのときの感想が‘醍醐味’であった。しかし、その醍醐味は日本人の舌に合わなかったのか、その後長い間史上には現れなかった。
私もチーズに関心を寄せたのは飛鳥時代のチーズだった。まだ30代前半だったろうか、《蘇》(フレッシュチーズ)というのが復元(牛乳大一升を煎じて小一升を得る)されたというので、取り寄せてみた。何しろ40年以上も昔のことだから、はっきりした味は覚えていないが、おそらく今の《出汁チーズ》に似た味ではなかったかと思う。だが、それ以降暫くチーズに対する関心は薄れていた。
それがにわかに興味がわいてきたのは、中国承徳市のホテルの朝食で食べたバターからであった。中国でのホテルの朝食は基本的には中国料理だけである。それがたまたま中国料理にまみれて隅っこにトーストとバターが用意してあった。ほんとうに珍しいケースであった。さっそく焼くとトーストのあの匂いが漂った。そして・・・、バターを見ると、真っ黄黄だ!味も濃厚。とまあ濃い体験をした。
帰国してから、仲間の荒井さんにそんな話をしたところ「チーズは、アジアとヨーロッパでは製造法が違うのです。バターもそうかもしれませんね」とおっしゃる。
「ふーん・・・・・・」と、少しずつ関心がわいてきた。
そういうときに、ある所から最近の蕎麦の変化動向について話すように依頼された。動きということで見えてくるのは、《二八》から《十割》へ、《蕎麦湯》の変化、器の変化・・・などが目につくようになっていた。
さらによく見ると食材も変化してきていた。従来の蕎麦屋は江戸前物から出発して、身の回りにある食材に限って使っていた。たとえば《おかめ蕎麦》などで使う卵や蒲鉾を、《玉子焼》や《板わさ》にしたりするのが常であった。
それが今までとはまったく違うタイプの、トマト、チーズ、オリーブオイルなどが使われるようになった。いわばイタリアン化である。これは蕎麦業界のみならず食業界にいえる動きであった。これはひとえにイタリア【ファストフード運動】の影響であると思う。
その仕掛人は作家の島村菜津さんだ。『スローフードな人生!』が衝撃的だった。たった一冊の本が社会革新を招くなんていうのはめったにあることではない。だから、道元以来の‘食の思想家’と位置付けていいと思って、この『蕎麦談義』シリーズに書いたところ「私も敬愛する錚々たる人物の下に、私の名前があるなんて、さりげなく、空恐ろしいエッセイですね」とのメールを頂いたことがある。
さて、チーズであるが、チーズ講師の荒井さんは信州の蕎麦の会でチーズの話を依頼されたりしていたが、ソバリエの中にも興味をもっている人たちが多数いた。そこでみんなで【チーズ検定】を受けてみようかということになった。
テストは難しかったが、そのための勉強は楽しかった。
これまではたまたま目に留まったり、耳にしたり、食べたりする物だけを覚えているというレベルであったが、お蔭さまでチーズ界の全体像、つまり「国別×7タイプ」の構図が見えるようになった。
先日も和食会議のセミナーで、八寸に《グリュイエール・チーズ》(スイス産×ハードタイプ)が供されていたが、そこに書いてあった解説文はテキストに記してある通りだった。また八寸にチーズというのも驚きであったが、ハードタイプは八寸として使えるのかと思った。

受けたその検定テストにはソバリエさん全員が合格した。初歩クラスの【コムラードオブチース】の認定証とバッジが送られてきた。
皆さんは全員「試験は難しかった。勉強は楽しかった」とおっしゃっていた。
そこで思った。見回すと、楽しい会、充実している会、研鑽会などいろんな集まりや会がある。しかし、当江戸ソバリエ協会は、やはり物事が見えるようになる講座を企画していきたい、と。

〔文 ☆ Comrade of Cheese ほしひかる〕 写真:蘇(ネットより)