第165話 歴史の見方

     

 ☆「出雲」展

 中島由美先生の「ワークショップ」が終わってから東京国立博物館まで来ると、特別展「出雲」が開催されていた。これはぜひとも入場しなければならない。なぜなら「出雲」は私の人生に彩りを加えてくれた大恩人だからだ。

 それは、昭和59~60年のことだった。出雲の斐川町(荒神谷遺跡)で、銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個が出土して、古代史界は大騒ぎとなった。

 それの何が凄いかというと、「銅剣358本」というのは、有史以来銅剣が日本全国から出土した本数をかるく上回る数で、しかもそれが一か所に埋められたというから、大ごとなのである。

 写真は別物の、佐賀県吉野ケ里から出土した銅剣であるが、ご覧の通り凄く重々しい。 

吉野ケ里から出土した銅剣 ー 円形は十円銅貨】

 それが何と358本! もちろん後代の鉄刀には及ぶべくもないが、紀元ゼロ世記ごろの武力パワーを見せつけるものとしては十分であった。

 このため、古代においてはやはり朝鮮半島に近い日本海側の北部九州とか、山陰に強国が並んでいたという考えが裏付けられた形になったのである。

 荒神谷遺跡出土の銅鐸レプリカ

 さっそく、斐川町教育委員会では平成1年から8年までの計8回、「荒神谷遺跡の謎を解く」という課題の論文を募集した。

 北部九州佐賀県出身である私は、邪馬台国などの古代史に関心をもっていたから、モノは試しと拙文を応募してみたところ、計8回の募集のうち3回応募して、3回入賞した。

 当然受賞式というのがあった。1度目は飛行機で飛んだが、2度目はまた同じじゃ能がない。「何かないか」と考えていたとき、偶々、FMラジオで乗り物に関する曲ばかりを特集して流していた。

 Duke Ellington の「Take the 'A' Train」やJohn Coltraneの「Blue Train」、映画音楽「オリエント急行殺人事件」など名曲ばかりである。

 それを耳にした私は、「ブルトレか、懐かしい!」と大学時代の帰省を想い出した。寝台特急「さくら」で、佐賀 ⇔ 東京を何回往復したことだろう。

 というわけで、出雲行、寝台特急「サンライズ出雲」を選んだ。

 そのブルトレは全部個室、室内は木の温もりを活かしたインテリア。寝転んだまま、走り去る夜景を眺めるという贅沢な旅であった。

 ブルー トレイン「出雲」 ☆ ほしひかる

 そんなことを、舘内に展示してある黄金の、銅剣、銅鐸を見ながら、思い出したが、私が駄文ながらも何か書く気になったのは、この出雲古代史の入賞のお蔭だったのである。

☆伝言ゲーム

  「歴史」と「旅」は似ているところがあると思う。

 歴史は「当時」の旅は「当地」の、立場になって理解しなければならない。その時代を今の時代と同じレベルで論じてはならないし、旅先を自分の居住地と比較して論じてはならない。

 ところが、最近の第二次大戦モノの映画を観ていると、「実は私は戦争に反対だった」という人が主人公になったりしている。今だからそんな風に作ってしまうが、当時そういう平和主義者ばかりだったら、戦争は起こらなったはずだ。

 当時、戦争に賛成した大衆も、現代に平和論的に戦争映画を制作した人も、結局は時流にのっているだけだと思うが、その時流とはオバケのようなものでポピュリズムにもつながっている。

 ポピュリズムといえば、かつての某首相人気もそうだった。おばさんたちが「純ちゃん、純ちゃん」と騒いでいるうちに、いつのまにか日本の企業はみな衰退し、グローバリズムの名の下に日本国が小さくなってしまっていた。

 これと太平洋戦争突入の構図はまったく同じだとよく言われている。

 「知の巨人」といわれた、かの小林秀雄なら、そうしたポピュリズムのようなものを信じてはならない」と言うだろう。

 それでも、残念ながらポピュリズムはなくならない。人間社会は、風評と伝言ゲ―ムに満ちているからだ。

 「犬が人に噛みついた」が変に伝わると「人が犬に噛みついた」となることは周知の通りだ。でもこれならまだ謎解きは簡単だ。しかし、ゲームはそれで終わらないときもある。つまり「犬人が噛みついた」にさえなる。そうなると訳がわからなくなって、辻妻を合わせようとして「犬人間」などを想像したりする。そうなると、後代の者の謎解きはますます手に負えなくなるというわけである。

 そういえば、先刻の中島先生は蕎麦猪口のデザインの変化について話されたが、古代史における銅鏡、銅鐸の場合もまったく同じである。年を経たものは原型の中国製のデザインから遠ざかり、何の絵なのか判断がつかなくなっている。そうした鏡、とくに日本で製造された鏡を「倣製鏡」と呼ぶが、要するに「偽の鏡」という意味だ。そんな銅鏡、銅鐸を「祭祀用」だと言っているのも、実は本来の使用目的が分からなくなったため「祭祀用」として処理している面がなくもない。

 よく、歴史は不思議というが、そうではなくて、実は人間が不思議なのである。

☆蕎麦切発祥伝説

 ある圏で「三大饂飩」というのがある。その1番、2番は昔から知られていたが、3番目は馴染みが薄かった。

 それでも、町起こしでデビューして10年ぐらい経つから、ある意味では定着した感もあるが、その初めはこういうことだったらしい。

 そこは遣唐使船が立ち寄る港だった。それ自体は史実のようである。またその地では多少饂飩が作られていた。その饂飩と遣唐使船が結び付けられて、「当地の饂飩は、中国から帰国した留学生がこの地に置いていったことが始まりではないか」→「イヤ、きっとそうだ」ということになった。

 そして、10年が経過したら、みんなが「中国から帰国した留学生がこの地に饂飩を置いていった」と断言するようになった。

 しかし、当時の立場に立って考えれば、それはありえない。そのように考えるのは現代の視点である。

 当時、海外渡航は命懸け、そうして手に入れた宝物を途中で置土産にするはずがない。しかも身分制度が厳しく、勝手なことをすれば首が飛ぶ。

 だから、あまり説得力がないのであるが、何せ愛郷心というのは強い。地元の人はその説を信じて頑張るのである。

 

 この話にちかいものが、例の信州蕎麦切発祥伝説である。

 その伝説は根強いが、その震源地は松江重頼が編した俳諧の書『毛吹草』(1645年刊)であろう。その信濃の項に「蕎切 当国より始ルト云」とメモッた。「云」というのは「らしい」とか、「そういう風に聞いた」ということである。重頼は俳諧師であって蕎麦の専門家ではない。だから、耳にしたことだけを記録したにすぎない。が、とにかく、この言葉を基軸に歴史は転回した。多くの人が引用し、「当国より始まる」になってしまった。伝言ゲームと同じである。

 そして、地元の人はその誇りに支えられて、頑張った。そのうちに郷土愛に燃える人が現れて、「発祥の地の石碑を建てよう」と声を上げる。もちろん「地元の利になるのに、まさか反対する者はいないだろうナ」という言葉を付け加えることは忘れない。かくてすんなりと「蕎麦切発祥」の石碑が建造されることになる。これが先述の「犬人間」を創造することなのだ。

 観光客も学者じゃないから真実は二の次、「蕎麦切発祥の地とやら」の石碑の前で写真を撮って、蕎麦でも食おう、という程度である。

  世の中は「真面目に、真剣に、正しいこと」よりも、「明るく、元気に、イイカゲンなこと」の方が迎えられることが多い。

 だからこそ、中島由美先生の「蕎麦猪口の文様」のように、一旦それらを受け入れて、あらためてそれらをある群れとして整理し直してみることが必要になってくると思う。それが、人間に対する、歴史に対する優しい目である。そうすれば、ある人間行動の秩序や、法則が見えてくるだろう。

 参考:「荒神谷遺跡の謎を解く」ブックレット①~⑧、『毛吹草』(岩波文庫)、

電車シリーズ

  【ブルートレイン出雲】(「蕎麦談義」165話)

 【嵯峨野トロッコ列車】【嵐電】(「蕎麦談義」160話)

  https://fv1.jp/chomei_blog/?p=3657

 【比叡山ケーブル】(「蕎麦談義」146話)

  https://fv1.jp/chomei_blog/?p=3160

 【都電】(「蕎麦談義」123話)

  https://fv1.jp/chomei_blog/?p=2594

 【サンフランシスコのケーブルカー】【ナパのワイントレイン】

 (江戸ソバリエ協会サイト「国境なき江戸ソバリエたち - 明日に架ける橋)

  http://www.edosobalier-kyokai.jp/kokkyou/ko_hoshi_mensekai.pdf

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員 ☆ ほしひかる〕