第390話 食 育

     

過日、京都の一流料亭の料理人による「お出汁の教室」があった。
できたのは、昆布と鰹節を贅沢に使った美味しいお出汁だった。
皆さんは、その色のうつくしさと味のおいしさにうっとりしながら、先生である料理人に拍手をおくり、彼の店に一度食べに行きたいと思った人も少ながらずおられたであろう。
よくある、一流シェフによる料理教室の光景である。
そのとき、一人女性が質問された。「私は九州出身ですが、母は毎日、イリコで味噌汁を作ってくれました。このイリコについてはどう考えればいいでしょうか?」
九州の味噌は麦が多い。そして麦味噌にはイリコ出汁がよく合う。
講師は、「イリコもいいですね。今日は鰹と昆布で出汁を作ってみました。云々」と卒なく答えられ、また質問者もそれ以上の突っ込みはされなかった。%e6%8c%bf%e7%b5%b527

だが、この質問は、教育事業の一端に居る私にとっては、ズシンとくる問題提起のように思われた。
というのは、今日のテーマは「お出汁の教室」であって、「鰹節や昆布の教室」ではなかったはずである。
だから、たとえば「日本の出汁には鰹、昆布、干し椎茸、煮干し、干しエビ、焼きアゴなどがある」こと、つまり予め出汁の全体図を示してから、「今日は、そのうちの鰹出汁を・・・」と入っていくべきであろう。
そうしなければ、さらにたとえばであるが、子供教室でそのような授業を行った場合、子供たちは「出汁=鰹と昆布」という具合に頭にすり込まれてしまう。
となると、それは〝教育〟ではなく、〝宣伝〟にちかい。

教育というのは、単なる体験談の場、あるいは研究発表の場ではない。そうした体験、研究を通して知った構造、公式、モデルなどを伝えるべきなのである。
その上で、分かりやすくとか、面白くとかを工夫しなければならない。

私たちも気をつけよう・・・。

〔文・絵 ☆ 江戸ソバリエ講師 ほしひかる