第459話 マネージャーとプレイヤー

     

第5回「武蔵の国の蕎麦打ち名人戦」から

マネージャーとプレイヤーは違うヨ。」
「第5回武蔵の国の蕎麦打ち名人戦」のお疲れさま会の席であるが、そんなことを言っているOさんの声が耳に入ってきた。
それを聞いて、私は「次の第6回の名人戦もうまくいく」と思った。
プレイヤーとは業務を遂行する人。マネージャーとは、仕事の流れを注視し、停滞するようなときは素早い対処を指示する人である。
「武蔵の国の蕎麦打ち名人戦」は、「名人戦」と「全国郷土そば祭り」を同時開催している。
メインの「名人戦」の方は決まった選手だけにかぎられているから比較的計画通りに事は進んでいく。
しかし「全国郷土そば祭り」は、不特定多数のお客様が主役だから、モノの流れ、人の流れに予測がつかないことがある。だから、マネージャはそれを注視していなければならない。
故に、プレイヤーと兼務していてはその責任が果たせないこともある、とOさんは云っているようである。

私も、ある会で配膳の順番で、そんな経験があった。
50人ぐらいの蕎麦会に参加したときであった。係のAさんは奥から膳を配ったが、Aさんの行動は正しい。なぜなら、手前に座っている人の傍はしょっちゅう係の人が通っているから、何となく安心だが、奥の人は忘れられる可能性があるから、先に配膳した方がいい。ところが、続くBさんは手前から並べた。本来ならAさんと一緒に奥の方からすべきだが、そうはしなかった。となると、谷間のようになった真ん中に座っていた人が少しだけ不安そうな顔をしていた。しかしAさんもBさんも忙しく動いていたために気付かない。そのうち初めのグループの人は食べ終わって、お代わりを希望している。明るいAさんは快く応じた。代わりに、中央に座っている人たち数名の不安が的中、可愛そうにおいてきぼりになってしまった。
それから私は、配膳の順番こそが心配りであることを知った。
そんなとき、ある蕎麦屋で似たような出来事があった。
その店は、昔は名店として少しは名が通っていたが、ご主人が亡くなり、娘さんが跡を継いでいた。その店を私が訪れたとき、4名の客がいた。彼女はある客に注文の品を運んだ。しかし、箸を忘れている。お客さんは箸を頼んだ。彼女は「はい」と言いながら、箸を取りに行こうとしたとき、別の客に「お水を」声をかけられ、目の前にあった冷水器の詮を押して、客に持って行った。が、そのことによって箸の客のことを忘れてしまった。客はまた要求した。彼女は「分かってます。私だって忙しいんです」と、云ってはならない言葉を発してしまった。客は憮然として出て行った。
こんな配慮なしの対応をとったその店は暫く営業を続けていたが、近ごろ通ったときは、他の飲食店になっていた。
別の話をしよう。築地に小さな定食屋がある。料理は若旦那夫婦、配膳と会計は奥さん、司令塔は大旦那さんという典型的な家内型の店である。
おかず類は焼魚とか、刺身が多い。まあ一般的な定食屋だと思うが、この店はご飯が美味しいし、真ん中に小さな梅干が一個のせてある。この一個の梅干に気遣いが感じられるのか、店は人気である。
それにもまして、大旦那の司令塔が効いていると思う。いち早く戸に目をやり、入って来る客の顔に「いらっしゃい」と声をかけ、空いている席へ誘導する。奥さんがお茶を運んで、一口飲んだところに「今日は?」と何気なく注文を催促する。料理の都合上で配膳の順が狂いそうになるときは、お客さんと調理係に声を掛ける。その対応もスピーディだ。そして「ありがとうございました。またいらっしゃい」と客の背に声をかけるのも大旦那。
小気味いい流れの中に、ちょっとした一期一会を大事にしているような温かさがある。それがあるかないかが、客商売の分かれ道であろう。
われわれも素人とはいえ、コミュニケーションを求めていろんな催事を企画している。だから、お客さんに不満をもたれるようなサービス対応をして、コミュニケーションを切ってはならない。しかもお代まで頂いているときなどはなおさらである。
それには、「マネージャーとプレイヤーは違う」という視点が大事であると思う。「監督の仕事は観察に尽きる」とは、青山学院大学の原監督の言葉であるが、その真意は同じようなことだと思う。

《参考》
*平成29年10月21日 第5回「武蔵の国の蕎麦打ち名人戦

〔文・挿絵 ☆ 武蔵の国そば打ち名人戦 審査員 ほしひかる