第498話 笊ものがたり

     

先の《素麺》の話で、18歳で上京したときのことを述べたが、そのころの日本は標準語と方言の差が大きかった。だからイナカ者の私は、ご多分に漏れず東京弁というか、標準語に戸惑ったものだった。

今、蕎麦や食関係に携わっているので、食関係の用語からいえば、「笊」「唐辛子」や、他に「味噌汁」「おしんこ」「厚揚げ」などという言葉は耳慣れない言葉だった。
しかし、そんな経験も今となってきは財産だと感謝している。
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☆胡椒・唐辛子
たとえば、大分名産の「柚子ごしょう」もそうだが、われわれ九州人は《唐辛子》を《胡椒》と言う。だから学生時代に友だちから「胡椒? これは唐辛子じゃねえかヨ!」と、よくからかわれたものだが、長じて専門家から聞いたところによると、日本には先ず九州に《胡椒》が初めて伝来してから日本全土に広まったが、《胡椒》が世界的に人気が出たため品不足となり、代理として《唐辛子》が目を付けられた。その《唐辛子》が九州に初上陸したときも《胡椒の代理》としての地位だったため、九州では《唐辛子》も《胡椒》と呼んだ、ということだった。
《胡椒》=《唐辛子》という呼び名が、調味料史の名残として九州で生き続けている不思議さに驚いたものだった。

☆おみおつけ・味噌汁、おくもじ・お新香
東京の人が言う「味噌汁」や「おしんこ」なんて、私は子供のころは言ったことがなかった。友たちが食堂で「おしんこ、頂戴」なんて言っていると、わけもなくくすぐったいような感じがしたものだった。
私のクニでは老若男女問わず一般的に味噌汁は《おみおつけ》、菜の漬け物は《おくもじ》と言った。
長じて知ったが、漢字で書くと、こういう字である。
「御御御 付(オミオ ツケ)」、「女房 詞(オク モジ)」。
畏れ入ってしまうような漢字に驚いたものだった。

☆そうけ・いかき・笊
東京にやって来たころ私は、「笊=ざる」という言葉を知らなかった。今でも佐賀県大町では毎年9月に「ソウケ市」を開催しているが、私のクニでは「そうけ」と言っていたからである。
もちろん、近畿で使っている「いかき」という言葉も何となく耳にしていた。だから麺類史研究家の伊藤汎先生著の『つるつる物語』を読んだとき、〔いかき=笊〕という言葉が出てきてもすんなり頭に入ってきた。ところが当の伊藤先生は東京生まれだから「いかきが笊のこととは知らなくて失敗だったヨ」とおっしゃったときには、こちらが驚いたものだった。

そもそもが「笊」の原料である「竹」というものは、縄文時代までの日本にはなかった。だから遺跡から木の蔓の籠は出土しているが、竹類は見つかっていない。
この後の、『魏志倭人伝』には壱岐国には竹林がある、奴国の南の狗奴国では竹の矢を使っている、と記録している。したがっての邪馬台国時代に中国南方から九州に伝わったようである。
その後、近畿に王朝ができるころには竹は西日本全体で繁殖し、江戸開府されると東日本にまで繁殖が及んだとみられている。
そこで小生が想うに、「笊」は中国語で「ソウ」、「笊籬」は「ソウリ」とよむから、「笊」という物が中国から伝えられた弥生時代ごろ、最初に使った九州や日本海側の人たちは外来語が訛って「そうり」とか「そうけ」と云ったのだろう。
その後、近畿人は「いかき」といい、東國人は「ざる」と云った。なぜそう言ったのかは分からない。もしかしたら「いかき」が大和言葉、「ざる」がアイヌ語系の言葉だったのかもしれない。
いま、辞書をひけば、「ざる」標準語、「いかき」近畿地方の方言、一部「そうり」「そうけ」と言うと書いてあるが、昔は「いかき」が標準語、「そうり」「そうけ」がその先進語、「ざる」は東国の方言だったのだろう。

《ざる蕎麦》

ともあれ、新都となった江戸の人たちは、外国では料理道具でしかない「竹笊」を、食器として利用したのである。おそらく「竹笊」を食器にしている民族は日本人以外ほとんないと思う。だから江戸ソバリエは《ざる蕎麦》を大切にしたいと思っている。

〔文・絵 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長ほしひかる