第688話 ヒマラヤ山麓の蕎麦の花

      2021/01/17  

『世界蕎麦文学全集』物語 30

 あやしさに かほる風上 眺むれば
花の波立つ 雪の山里♪

 これは明治32年、チベットへ修行に行く途中の河口慧海(1866~1945)が、ネパール北部のツァーラン村(標高3600m)で、咲き競う薄桃色の蕎麦の花に感動して作った歌である。蕎麦の花はわれわれが普通見るのは白いが、高山では赤く咲くという。だから慧海が見たのも薄桃色であった。
   慧海はツァーラン村で宿泊し、蕎麦の花を見て、新芽を酸乳でまぶし、白和えのようにして食べたと記録している。
  慧海が訪ねたこの村はガンダキ・プラデーシュ州ムスタン郡にあり、14世紀から2008年までネパール内の自治王国であったから、名前は比較的知られている。

  同じくネパールの話だが、2020年の暮にドルポを訪ねた冒険家たちの記録をテレビで放映していた。そのなかでサルダン村の人が《蕎麦粉のパンケーキ》を焼いたり、《蕎麦の葉をサラダ》として食べている場面があった。
   この村はカルナリプラデシュ州ドルパ郡(「ドルポ」とも「ドルボ」ともいう)にある。ドルポの由来はよくわかっていないらしいが、京都大学の岩尾一史の「ドルポ考」によれば、そのルーツは中国甘粛省洮州~永靖県から西の方に居住していた「洮州羌族」の可能性が高く、7世紀半ばにチベット帝国の支配下に入って「ドルポ」と改称され、9世紀後半にチベット帝国が崩壊すると史上から消えていったという。
  しかし支配される者は支配する者より生存力は強い。ネパールの北部のドルポ郡内の村々にひっそりと生きているの人たちこそ、旧「洮州羌族ドルポ」の裔であると想うが、それは辺境の地で生き残る蕎麦の力とどこか重なるようなところがあるように思える。

  また、羌族といえば、蕎麦の起原地とされる中国雲南省・四川省・チベット自治区の三江地域に住む人たちも古羌族の裔と考えられる。
  この幻の古羌族たちも気になるところではあるし、またツァーラン村とサルダン村の蕎麦食についてもあれやこれやと詮索したくなる。
  しかし、ここで亡き友人の平林氏が言った言葉を思い出す。
  彼が、ある秘境の村を訪ねたとき、まだ電気がなかったその村で、「どうするか」と話し合った結果、「引いた電線に鳥が引っかかってはかわいそうだから、電気を使うのは止めにした」らしい。
  この話が、村人の冗談かどうかわからないが、その気持は行った者にはよく分かると言っていた。
  だからわれわれも、民族のことも食習慣のことも、彼らを尊重してそっとしておいた方がいいのかもしれない。 

『世界蕎麦文学全集』
55.河口慧海『チベット旅行記』
*稲葉香『Mustang and Dolpo Expedition 2016』
*岩尾一史「ドルポ考」

文:江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる

ネパール北部地図:ネットより
慧海とされる仏像:稲葉香 撮影
ツァーラン村に咲く赤い蕎麦の花の想像画:ほし絵
サルダン村の《蕎麦粉のパンケーキ》と《蕎麦の葉をサラダ》:テレビ朝日より
やぎぬまともこ氏(ソバリエ)のチベット・ネパール料理教室で作った《蕎麦掻》