第861話 草上の昼食

      2023/10/10  

 千代田線二十橋前駅構内を急いでいるとき、「ほしさん」ときよみさんに声をかけられた。彼女も今日の会の和食文化国民会議の会員さん、お仕事はテーブルコーディルネーター、佐賀の有田焼などを使用していると聞いている。
 私たちは一緒に会場の「皇居外苑楠公レストハウス」に向かった。
 ソバリエの仲間はすでに到着していて席がなかったので、そのまま二人でEのテーブル席に座った。 今日の演者は大久保洋子先生だった。大久保先生にはいつもお世話になっているが、この春は、先生のご依頼で江戸蕎麦のお話をさせていただいたことがあるので、だから今日は先生のお話を楽しみにしていた。 すぐに、先生の「江戸に触れる。江戸文化(料理)を味わう」が始まったが、興味深い内容だった。
 私は、日ごろより次の2点に関心をもっていた。

江戸蕎麦を支えている産業群が江戸周辺に存在していたこと。
 たとえば、現代でいう都下あるいは当時の江戸の周辺地区の蕎麦粉、千葉の醤油・塩、江戸前の海の魚介類、江戸周辺の鴨などの流通なくしては江戸の蕎麦は成り立たない。
❷江戸町人と地方農民の台所のこと。
 上層階級の邸には都鄙にかかわらず台所はあったが、庶民の家はそうはいかない。ただ、都市の町人の家には台所があったが、地方の農民の家は不完全であった。「不完全」というのは、竈はあっても流し場は川や用水路の共同利用であるという状態を指す。なぜなら〝火〟は自ら熾せるが、〝水〟はそうはいかず、公共政策(上水道)に頼らざるを得ないところがあるからである。 ここから、台所のある都市では外食店が誕生するが、農村部などの地方では店は生まれない。それが江戸蕎麦誕生に繋がるというわけである。

 大久保先生も武蔵野の水車をあげて、武蔵野の製粉産業の存在を指摘されていた。また江戸の町人の台所(竈・流し場)の写真も例示されていた。後で、この写真の出所をお尋ねすると気軽にお教えいただいた。

 講演後は、皇居外苑の総支配人総料理長安倍憲昭氏による本日の《江戸エコ行楽重》のご紹介があり、続いて皇居の松芝生地で、それを頂くという、粋な企画だった。
  お隣には、食の文化ライブラリーの美保さまという方が坐られた。
 「食の文化ライブラリー」・・・、これもご縁だと思った。実は昨日、高知の美知さんという方から「『日本調理科学会誌』vol.56に「牧野富太郎ゆかりの食」を掲載したけど、その誌は食の文化ライブラリーに置いてある」とのメールをもらったばかりだったので、「近々読みに行きます」とご挨拶した。
 今日の主役の《お重》の中身は写真の通りの江戸料理だったが、その中の《薩摩芋飯》は一昨日に佐賀の「あけぼの」で頂いばかりだったから、またまたそのご縁に面白く思った。
 ところで、青空の下、緑色の美しい芝生の上、そして心地よい秋の空気を肌に感じながらの、昼食は実に爽快だった。こうした草の上でのピクニックみたいな昼食にはお重がぴったりだ。浮世絵でも花見の昼食にはお重が描いてあることが多い。 
 西洋人のマネが名画「草上の昼食」を描いたのも野外での昼食の爽快さゆえだろう。マネは当時の近代的センスをもった画家として知られているが、草上の昼食という題材はその線上の作品であると思う。
 このマネのセンスは多くの人に影響をあたえ、ピカソも同名の作品を描いたし、同名の映画もある。日本では、川上弘美が「神様」と続編「草上の昼食」という小説を書いた。内容は、こんな具合である。
 【つい最近、くまが越してきた。くまは引越し蕎麦を同じ階の住人に振舞い、葉書を10枚ずつ渡して回っていた。そのくまに誘われて弁当を持って、近くの川原に散歩に行った。】 
 ジョージ・ルーカスの映画『スターウォーズ』ではライオンみたいな生き物やロボットが相棒だったが、人間も動物も何の違和感もなく、平等に行動しているというのは、川上の小説と同じ世界ただ。それに、マネの絵の洋服を着ている男たちも裸の女性も、何の違和感もなく、平等に描かれているというセンスも同様ではないだろうかと思いながら、私もマネて描いてみた。

 一昨日は、見事な骨董品が飾られている老舗旅館で和食を頂いた。そして今日は、爽やかな陽の光を浴びながらの草の上の昼食、何と幸せなことだろう。

 ほし☆ひかる
(特定非営利活動法人 江戸ソバリエ協会 理事長)
(2022年農水省認定 和食文化継承リーダー)