【2月号】 現代病になろうとしている脚気。練馬大根のたくあんが良い。

     

先日、農水省関東農政局の東京農政事務所が企画したシンポジウムに呼ばれたが、テーマが「日本食と健康長寿」で、私の役どころは、東京の伝統野菜について、歴史や当時の食文化などについてお話しするというものだった。十分に話す時間がなかったので・・・

五代将軍、徳川綱吉がまだ舘林(群馬県)の城主で、松平右馬頭(うまのかみ)と名乗っていた時代の延宝5年(1677)、参勤交代で江戸住まいの時に脚気になってしまった。

当時の医学は未熟で、医者にみせても解らず、結果、右馬頭は占い師 (陰陽師)に頼り、「お城の西北に当たるところに、馬の字が付くところがあればそこに御殿を建てて養生するように」とのお告げ。

調べてみると「下練馬」があり、そこに御殿を建てて養生することになる。

練馬では大根の生産と普及に貢献したが、練馬と云う草深き田舎での養生したことで、3年で病は癒え、延宝8年(1680)に右馬頭は江戸屋敷に戻るが、同年、第五代征夷大将軍の地位へと上る。 

 

さて、右馬頭はなぜ脚気になってしまったかだ。

当時、江戸では上級武士や商家の富裕層では玄米を精白して食べていた。

町には「舂き米(つきごめ)屋」なる商売があり、精白することを生業とする者達がいた。

野菜が不足している上に、ビタミンB1を削り取った白米を食べていたのだ。

また、江戸の都市づくりで過激な労働をすることでビタミンB1を消費する等でも脚気を引き起こしていた。

ビタミンB1が発見されるのが明治43年・鈴木梅太郎によってである。したがってそれまでの間、多くの人たちが脚気で亡くなっている。

脚気は足のむくみなどの症状が出る足の病気と思いがちだが、抹消神経を侵して心不全を発症するという怖い病気。

将軍では13代将軍の家定、14代将軍の家茂、皇女和宮の死因も脚気だったと云われている。 

江戸で発症しても、江戸と食糧事情の異なる田舎に帰れば、玄米食に野菜もたくさんあることから治りも早く、再び江戸に出てくると発症すると云うことで、「江戸病」「江戸患い」と呼んでいた。

 市民は脚気対策として色々と試したようで、蕎麦や麦飯、小豆が効く等と、江戸の武家などでは脚気が発生しやすい夏には麦飯を食べたと云う話もあるが、ビタミンB1は豆類およびニンニクには多く含まれていた。

沢庵禅師が普及した沢庵漬けにして、練馬ダイコンの消費拡大を薦めた綱吉の思いが功を奏して、その後消費は拡大したが、沢庵は米ぬかを使って漬けこむことから、干し大根がビタミンB1を吸収する。

野菜のぬか漬けも庶民生活に欠かせないものだったわけで、今にして思えば、試行錯誤の中から、それなりの効果は得られたと思える。 

栄養過多の今日、意外にも脚気が現代病の一つになっているという。

ハンバーガーやポテトチップ等のファストフードに、ポップコーン等のスナック菓子は、カロリーは高いものの、その他の栄養素は少ない。このような偏食により、必要量が不足し、さらに清涼飲料水のように糖分の多い食品の過剰摂取なども原因とされている。

各家庭では、ぬか床も無くなってしまったが、改めて、お米を中心とした日本型の食生活が求められている。

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