第526話 日本字小論

     

~第一回日中蕎麦学国際フォーラムに出席して~

日中蕎麦学国際フォーラムに出席して、アジアにおける国際フォーラムの運営は大変だと思った。最大の壁は文字と言葉である。
世界フォーラムなら英語を共通語として採用できるが、日本人と中国人だけの会議に英語というのも何か違和感がある。
そこで、あらためて【世界の 主たる文字文化圏】というのを見てみると、だいたい次の通りになっていると思う。
☆漢字圏
東アジア〔DGP世界2位の中国・3位の日本など〕
☆ブラフミー文字圏
南・東南アジア〔6位のインドなど〕
☆ラテン文字圏
西欧・南アフリカ・北南米〔1位のUSA・4位のドイツ・5位のイギリス・7位のフランス・8位のブラジル・9位のイタリア・10位のカナダなど〕
☆キリル文字圏
東欧〔11位のロシアなど〕
☆アラビア文字圏
中東・北アフリカ

〔  〕内に代表国をGDPの順位で紹介してみたが、ラテン文字系の英語が世界語としてほぼ認められているのは、欧州のかつての植民地政策の結果であると思う。その中で健闘しているのが、GDP2位・3位の中国・日本が使用している漢字である。だから漢字圏の会議に英語は違和感があるというわけだ。
東アジアの漢字圏に限れば、①解決策として資料は漢字表記というのも一つである。ただし文字と言葉は違う。文字が通じたとしても言葉は通じないから、②今は通訳の手を借りるしかないだろう。
これより他に手はないだろうか思っていると、手がかりみたいなことが目の前に転がっているときがある。
同室の相棒が鍵を部屋に置いたまま閉めてしまった。旅行中にはたまにあることだが、困ったことに今は夜中の12時である。受付に日本語が通じる人はいるだろうか?と不安になった。そこで仲間の赤尾さんに相談すると、彼は翻訳機能をもっている携帯に「部屋に鍵を置いたまま閉めました」と言った。すると中国語に翻訳された文字が出てきた。私たちはそれを持ってホテルの人に見せると、すぐに対応してくれたが、③こういう機器の利用も考えていかなければならないだろう。
また、こんなこともあった。赤峰市の代表格の人が一ノ瀬さんの蕎麦打ちを熱心に見ていたので、私は通訳を通じて「日本の蕎麦打ちはどうですか?」と訊いてみた。彼は指で「最高」の意を表してから握手を求めてきた。
そして、この後に約30名の人たちが蕎麦打ち体験をしたが、皆さんたちの顔には、協同作業後の満足感がみられた。
そこで、孫先生に「次回は、④1日目に協同作業的な蕎麦打ち体験をして、気持の交流ができとたところで、2日目の講演会で知恵の交流しませんか」と申上げた。先生も頷いておられた。
かように、日中の二国間でも大変だが、仮にこのフォーラムに韓国人が参加したらどうなるか? さらに複雑になるだろう。
ご承知のように朝鮮半島もそもそもは漢字圏であったが、彼らは漢字を捨ててハングル字を主とするようになった。
他の国の事情をとやかく言う資格はどこにもないが、この傾向は日本や中国にだってみられるところがある。中国漢字の略字化や日本字の仮名化がそれである。
たとえば日本字なら、蕎麦→そば、旨味→うま味、出汁→だし、醤油→しょう油、鰹節→かつお節と書くようになった。理由は【分かりやすさ】【やさしさ】からこのようになってきたが、皮肉を言えば【分かりやすさ】というのは勉強しない人に水準を合わせるということだ。
しかし、いみじくも一ノ瀬さんが私が作成したPPTを見て、「そば」という仮名は中国の人には分かりませんよ、とおしゃったが、その通りだ。
漢字の源は黄河流域に栄えた殷の甲骨文字である。元々は王者が神と対話するために考案された。つまり神はしゃべることはできないから、字を見て王者と通じ合うというわけである。その儀式の場所が「天壇」である。
そうした原始文字が漢字に発展し、漢の時代に漢字圏が形成された。福岡県の糸島で見つかった金印「漢委奴國王」も漢字圏の証であろう。
日本最古の漢字は熊本の4世紀末の遺跡から発見されているから、古墳時代には完全に漢字圏に入っていたと思われる。
とはいっても、日本人は中国人にも、もちろん西洋人にもなれない。当然のことだが、それが分かったとき漢字を丸呑みするのではなく、日本人は漢字から仮名を創出し、漢字+仮名を使用することで日本文とするようになった。
しかしながら振り返ると、私たちはそうした日本字による作文を学校でしっかり教わったことがない。
小学校の低学年の子供が《そばをうつことができない》と書くなら、高学年は《蕎麦を打つができない》と「名刺・動詞、あるいは形容詞ぐらいは漢字で書きなさい。その方が分かりやすい。」なんて指導を受けたことはない。自由だ、といえば聞こえはいいがみんな適当に書いている。だから《そばうつことが出来無い》なんて、何とも醜い書き方をする人もいる。
それは外国人が開発したワードの漢字かな変換ソフトによるものだろうし、さらに遡ればパソコンのローマ字入力からきているのだろう。
だからなのか、街を歩くと表札に「星」と掲示すベきところを「HOSHI」とアルファベットで表記してる家すらある。驚きである。
いま英語教育が大事だと皆が言っているが、そうだろうか。その前に先ずは国語教育あって、次に外国語教育ではないかと思えてくる。

話を戻すと、国際会議というものは、言葉と文字の壁のために、資料作成費・同時通訳費、ニューメディアの使用など大がかりになる。それはもう運営・経営、つまり資金力・人材力の問題になるから、ここでは一様な解答は出せない。それでも一応あれこれ考えてみることは必要だと思う。

〔文 ☆ エッセイスト ほしひかる
写真:日中蕎麦学国際フォーラム