第297話 蕎麦切御朱印の旅

     

蕎麦切御朱印帳 ☆ ほし蔵

いつのころからか、蕎麦巡りをしているうちに縁の寺社の御朱印を捺してもらうようになっていた。それがこの度、蕎麦切発祥伝説をもつ天目山栖雲寺で蕎麦奉納を実施させていただいたときに捺してもらったのが、御朱印帳の最後となった。
長い旅路だったが、とりあえず一段落したので中身をご披露してみたい。

☆蕎麦切奉納の寺社めぐり 編
われわれ江戸ソバリエは各地で食の感謝を表すために蕎麦奉納を行っている。
最初はサンフランシスコにご一緒した「かんだやぶ」の堀田先生からのご提案で始めたのが、神田神社(神田)と国王神社(板東)である。御朱印も奉納後に捺してもらった。
それから蕎麦奉納は、蕎麦喰地蔵尊の九品院(練馬) 、蕎麦稲荷の慈眼院(小石川)と続くが、慈眼院と九品院では三遊亭円窓師匠に創作落語「お蕎麦の稲荷」と「蕎麦喰地蔵」の口演してもらった。ただ、両寺院ともに御朱印が準備されていなかったので、各々の親寺である伝通院(小石川)と誓願寺(小田原)で御朱印を頂いた。
また、そば守観音の深大寺(調布)は江戸ソバリエ・石臼の会、そしてこの度の天目山栖雲寺(甲州)は江戸ソバリエ・神奈川の会のご尽力で蕎麦奉納が実現した。
深大寺では『江戸名所図会』の中に描かれている「深大寺蕎麦」の場面を再現できたこと、栖雲寺では修行僧の食器「持鉢」で蕎麦を食べることができたことなどは、大変勉強になる体験だった。

☆蕎麦切伝説の旅 編
次に、私の得意とするのが蕎麦伝説の旅である。
先ずは石臼を日本に持ち込んだとされている円爾創建の承天禅寺(博多)と東福寺(京都)から始まり、妙心寺大心院の宿坊に泊まりながら、相國寺(京都)、延暦寺(滋賀)、親鸞の蕎食木像伝説をもつ比叡山大乗院(滋賀)と同じ伝説をもつ法住寺(京都)、そして芭蕉の落柿舎(嵯峨野)などを巡った。
また別の日には、延暦寺で『酒めん肴』の編集長とミニ修行も体験した。
それから寺方蕎麦として知られている定勝寺(木曾)と妙興報恩禅寺(一宮)である。この妙興報恩禅寺は江戸ソバリエ講師の伊藤汎先生の店「長浦」のルーツであることはいうまでもないが、伊藤先生との出会いで「江戸ソバリエ認定事業」の自信を得たことは今までも何回も述べてきた。

☆江戸蕎麦切の初出 編
次は、江戸ソバリエらしく江戸蕎麦伝承巡りである。
まずは江戸蕎麦初出の『慈性日記』を残してくれた慈性の尊勝院(京都)、そのときに一緒に蕎麦切を食べたのが江戸の東光院、近江の薬樹院だと記録されているが、江戸の東光院は御朱印がないとのこと。また薬樹院を訪れたときは、ちょうどご住職が出かけようとされているときで、「また来なさい」と言われたので、代わりに宿泊した円満院門跡(大津)でいただいた。
そして、この『慈性日記』を現代語訳され、江戸ソバリエ・ルシックの講師もお願いした宝搭寺(品川)となるが、この初出寺社めぐりのお蔭で歴史を体験することができて「江戸蕎麦切400年記念」の江戸ソバリエ・ルシックの方たち向けのセミナーを開催し、江戸ソバリエ認定事業の一つの山場を企画することができたのは喜ばしいことである。
そして、その関連から「一寿」(江戸ソバリエ講師)さんと「江戸初期の蕎麦切と汁の再現」に挑むことになるのであるが、このとき知ったことはすでに第292話「油油しき蕎麦汁」で述べた。ここでさらに言いたいことは、「江戸開府がなければ江戸料理すなわち江戸蕎麦も誕生しなかった」ということである。だから、歴史学は物事の判断の基礎となるのである。

☆江戸蕎麦切伝承めぐり 編
それから江戸の街の、そば地蔵医王寺(小岩)、寛永寺(上野)、縁の戸隠神社(戸隠)、そして称往院(北烏山)、護國寺(大塚)、本伝寺(大塚)、雑司ヶ谷鬼子母神(豊島) そば閻魔金蔵寺(北千住) 、全生庵(谷中)、長明寺(谷中)、福徳稲荷(日本橋)などを訪ねた。

これら三十五寺社の御朱印を人様に見せても「あっ、そう」と言われるていどあろう。
それでも私は、さらに調べ上げ、小説にして『日本そば新聞』に「蕎麦夜噺」として連載してきた。が、それも駄文にすぎない。
それよりも、脚をつかって汗を流した長い歳月そのものが私の財産となるだろう。

☆料理の神様仏様 編
最後に、料理の神様にも敬意を表して、高家神社(千倉)、日枝神社(赤坂)、箸蔵寺(徳島)、千體荒神(品川)などを巡ったが、これらは一見して蕎麦と離れているようでいて、実は「和食」という土壌の中で育ったのが「日本の蕎麦」だという当たり前のことが実感できて、むしろ一番大切な旅だったように思う。

参考:ほしひかる筆「蕎麦夜噺」(『日本そば新聞』)、ほしひかる筆「蕎麦談義」(『フードボイス』)、

〔江戸ソバリエ認定委員長、深大寺そば学院 學監 ☆ ほしひかる〕